僕は、進学校とされる高校から慶應義塾大学へと進み、卒業後は老舗の大手食品メーカーに入社。しかし、そこを5ヶ月で退職してからは、アルバイトも含めて転職を繰り返している身だったからです。
いい高校からいい大学へ、そして大企業へと順調に進んだエリートが失敗して、人生の落伍者になったわけか……と、転職エージェントの社長が僕の履歴書を見て思っているであろうことは、表情から見てとれました。
そして15年後ーー現在の僕は、D2C通販事業を中心に年商約20億円の会社の経営者です。
実を言えば、新卒で入社した大手食品メーカーを辞めて紆余曲折の後、こうして起業することになったのは、そもそも僕が根っからの「厄介者」だからです。
詳しくは本書で触れますが、10代の頃から僕は、周囲の同調圧力や暗黙のルールに従うことに違和感を覚え、それがつい言葉や表情に出てしまうので、どこにいても「扱いにくい奴」とみなされがちでした。大企業では、細分化された役割の狭い枠内で成果を出そうと必死に働くことへの虚しさも加わり、もう1秒でも早く抜け出したくなって退職したのです。
辞めてからの3年間は、家賃2万5000円の風呂なしアパートに移り、アルバイトで食いつなぎながら小説を書いていました。自分が常に抱いてきた違和感や疎外感を突き詰めて形にしたかったのです。しかし、とんがった20代の厄介者が考えた未熟なストーリーは、新人賞の一次審査も通らず落選。
そんなある日、実家の母から窮状を訴える電話がかかってきました。
わが家は、父が僕の幼い頃に病死し、経済的に楽ではない家庭でした。実家に仕送りする必要が生じたので、僕は就職情報誌から何社かの連絡先をメモし、次々と電話をかけ続けました。そして、ニッチジャンルの広告代理店に採用され、高校生に向けた進学情報誌と広告制作を任されたのです。
その会社で僕は、高校生から大学・専門学校への資料請求数を増やすアイデアなどを考え続け、毎日のように提案していました。それで変わり者扱いはされましたが、社会に出て初めて自分を認めてもらえたと実感できた職場でした。
でも、3年経った頃、「自分の仕事は高校生にとって本当に適切な進路選択の助けになっているだろうか?」と根本的な疑問が湧き、これを真正面から考えるようになります。広告代理店の社員である以上、クライアントの要望に応えて会社の利益に貢献するのが役割ですが、高校生を単に「市場」と考えて儲けているだけのような違和感を覚えて退職しました。
そこで、ある通販ベンチャーの求人情報を友人から得て応募し、これが通販業界に飛び込むきっかけとなりました。近い将来の起業を見すえながら、複数の通販会社を渡り歩いて経験を積んだ後、通販専門のコンサルティング会社に入社します。そこでは大手から中小に至るまでの通販事業コンサルティングを行いました。
違和感の正体を探っていくと…
しかし、ここでも僕は違和感を覚えるようになります。
ただ数字を伸ばしたい一心で、「何かうまい儲け話は?」「何が当たりますかね?」と言うクライアントと、その求めに応じたアドバイスをするコンサル。その思考回路は、かつて就活の際に有利だからという理由だけで留学やボランティア活動をしていた大学の同級生たちと同じに思え、本質からかけ離れた姿に見えたのです。
会社を大きくすること、儲けを大きくすること自体を目的にするのがビジネスの本質なのだろうか? 本当に必要なものを、どうしたら作れるのだろうか?
それを本当に必要とする人に、どうしたら確実に届けられるのだろうか?
そんな思いを抱えながらコンサルティング会社を退職し、起業したのは37歳のときのことです。
違和感がどこからくるのかを探っていくと、自身の価値観の本質が見えてきます。
僕が通販・D2Cでやりたいこととは、本当に必要とされる善いものを、切実に求めている誰かに届けること。そんなまじめなビジネスを追究していくことでした。
その「考え続ける力」「こだわり続ける力」こそ、実はダイレクトマーケティングで成功するには非常に重要だというのが僕の実感です。
だから、大きな資金力はないけれど何かやってみたい、今いる場所では本当の自分を表現しづらい、周囲から理解されにくい自分のこだわりを形にしたい、と思っている人がいるなら、「じゃあ、一歩踏み出してこちらに来てみないか?」と声をかけたくて、僕は本を書くことにしました。
一発当てて大儲けしようぜ、と誘っているのではありません。あなたが他の人と違う何かをずっと抱えてきたのであれば、そのこだわりをとことん突き詰めてダイレクトマーケティングの世界で挑戦してみるのも悪くないんじゃないか? ということです。