ブッダの教えの解釈が難解に…
再び単純化する天才が登場
ある日、「ブッダさん、マジリスペクトっす!」「おれ、料理したんで食ってください!」て具合の、グッドバイブスな青年から、キノコ料理をもらって食べたら、食中毒になって死んでしまった。
80歳のときである。インドあついからな。食べ物いたむのはしゃーない。
ブッダが死んで、みんな悲しんだ。
そして、「ブッダの教えを、後の時代につたえていくで!」と、弟子たちが、ブッダの教えを、文章で記録して整理することにした。
これが「お経」である。彼らのお陰で、ブッダの教えは「仏教」となって、ぼくたちにもつたわったのだ。
でも、問題にぶちあたった。ブッダの「無我」、むつかしすぎたのだ。
「自分がない」という、わかるようなわかんないような感じ…。
けっきょく、ブッダの教えの解釈をめぐって、弟子のグループが分裂しまくって、何百年も大論争になってしまったのだ。
論争をへて、ブッダのころはけっこうシンプルな教えだったのに、学者しか理解できないような複雑なものになってしまった。
もう民衆の心は、仏教から離れはじめていた。仏教存続の危機である。