比叡山その歴史と4通りのアクセス

比叡山から西方比叡山から西方には京都市街が広がる。伝教大師最澄も同じ景色を見たのだろうか

 京都の中心部から見ると、北東方面にそびえる比叡山。公共交通機関を使ってアクセスする方法は3通りあります。京都駅から直通の「比叡山ドライブバス」で行く方法、洛北の八瀬から叡山ケーブルと叡山ロープウェイを乗り継いで行く方法、琵琶湖側の坂本から坂本ケーブルで行く方法です。その他、レンタカーを借りて、比叡山ドライブウェイと奥比叡ドライブウェイの景色を楽しみながらのアクセス方法もあります。

 山上のメインターミナル「延暦寺バスセンター」のすぐそばには、メインゲートである拝観受付があります。東塔と西塔の間は距離にして約1.5kmほどなので徒歩でも往来できますが、東塔と横川は約5kmも離れているため、時短で巡りたいときは「東塔」「延暦寺バスセンター」「西塔」「峰道」「横川」の停留所間を行き来できる「比叡山内シャトルバス」を活用しましょう。時刻表を事前にチェックして発車時間に合わせて動けば、効率よく巡拝できます。3塔巡拝券付きのお得な乗車券「比叡山フリーパス」(大人3800円)を活用するといいでしょう。本数は多くありませんし、12月9日以降は冬期運休となりますのでご注意を!

 比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄は、767(神護景雲元)年、今の滋賀県大津市坂本の一帯を統治していた三津首(みつのおびと)一族、百枝の長男の広野として生まれました。比叡山延暦寺の門前町である坂本の生源寺が誕生地といわれています。近くには幼少期を過ごしたとされる紅染寺趾や、産湯に使った竈を埋めたといわれる場所が現存しています。

 788(延暦7)年、22歳のとき、比叡山内に一乗止観院(根本中堂の前身)を建立。自ら彫り上げた薬師如来像を安置し、日枝山寺としたのが比叡山延暦寺の始まりです。その6年後に平安京を開いた桓武天皇の命により、都の北東に当たる表鬼門を守る国家鎮護の寺となりました。第3世天台座主として天台密教の基礎を築いた慈覚大師円仁、天台宗寺門派の祖とされる第5世天台座主の智証大師円珍ら天台宗の高僧、平安末期から鎌倉時代にかけては、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)といった各宗派の開祖となる名僧が輩出。「仏教の総合大学」と称される日本仏教の母なる山です。

 伝教大師最澄が説いた教えとは、「一隅を照らす此れ則ち国宝なり」(伝教大師最澄筆『山家学生式』)。意訳すると、それぞれが自分のベストを尽くして輝けば、きっと世の中も明るくなる——現代社会に生きる私たちの心にスッと入ってくる言葉であるように思います。

浄土院伝教大師最澄「御廟」がある浄土院は、紅葉の隠れ名所