画期的な文章術の本として、いま大きな反響を呼んでいるのが『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(阿部幸大著/光文社)だ。アカデミック・ライティングとは、直訳すれば「学術的に書くこと」。つまり論文やレポートを執筆するための作法を指す。一見、ゴリゴリの学術書だが、そこには文章とはどうあるべきか、どのように考えれば「書ける」ようになるのかという、万人に開かれた技術と知恵が詰まっている――と語るのは、『独学大全』の著者である読書猿氏だ。読書猿氏をして「文章本は、この本以前/以降に分かれるだろう」と言わしめた同作の著者である、筑波大学の阿部幸大助教をゲストに迎えた対談(全4回)をお届けする。第1回は『独学大全』著者が「画期的。誇張抜きで、文章術の教科書は、本書以前/以降に大きく分かれる」と驚いた一冊とは?。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局
文章を「リバースエンジニアリング」する
――阿部先生が『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』を執筆するにあたって、実用性の面について特に意識したポイントはどこですか?
阿部幸大(以下、阿部) 例えばスポーツの場合、すぐれたサッカー選手を目指す人は、シュートやドリブルといった基本技術を練習しますよね。すごく上手い選手のプレーを見て、それをそのまま真似するのは難しい。ところが、従来のアカデミック・ライティングにはそういう発想がほとんどありませんでした。複雑な総体を示され、それを丸ごと習得するように求められるので、当然ながらそこで脱落する人が出てきてしまうのです。
私が得意とするのは、そうした複雑なものをいったんバラバラにすることです。ものすごく能力のある人は、お手本をそのまま再現できる。しかし、そういった能力は私にはありませんし、そのような能力を持つ人であれば、おそらくこんな本は書かないでしょう。
私が何かに取り組むときの思考回路は、まず複雑な総体を要素に分解して、その各要素を習得するための方法論を開発し、ひとつひとつトレーニングします。しかるのちに、各要素を再び組み立て直す作業を経て、理想のプレーを自分でも再現できるようになる。これは、若いころから楽器の練習や大学受験の勉強などに取り入れてきた手法で、今回はそれをアカデミック・ライティングに応用したというわけです。
これを私は「分析的」な作業と呼んでいます。日本語で「分析」というと、ただ物事をつぶさに見ることだと思われがちですが、英語の「アナリシス(analysis)」の対義語は「シンセシス(synthesis)」すなわち「統合」であり、アナリシスという言葉は「分解」という意味なんですね。じっさい、「分」も「析」も「わける」という意味です。「できる人はできるのに、できない人はできない」という事柄を説明するには、この分析的なプロセスが欠かせないと思っています。
読書猿 まさに「リバースエンジニアリング」ですね。ある機械をつくりたい企業が、別の企業がつくった機械を買って分解し、その仕組みを理解して、もう一度組み立て直すことで、自分たちでもその機械をつくれるようになる。文章を書くという文学的と思われがちな営みを、工学的な発想で解明されているのが印象的です。
僕も元々は科学少年で、子どものころはラジオや機械を分解して遊んでいました。どう考えても自分に文章を書く才能はないのですが、人が書いた文章を「こいつはどうやって書かれたんだろう?」とさかのぼって考えることで書けるようになった。阿部さんの本を読みながら、同じような道筋を歩んでこられたのかなと想像しました。
「センテンス」が思考を決める
阿部 実はいま、今回のアカデミック・ライティング本よりも、ぐっと根源的な文章術の本を構想しています。そのテーマとして考えているのが、「文章」以前の、「センテンス」の問題です。
前回、読書猿さんに「文章本」の系譜を3つに分けて解説していただきましたよね。私の分類としては大きく2つあって、ひとつが「読みやすい文」を書くことに主眼を置いたもの。前回も話題に出てきた、本多勝一の著作などがそうです。もうひとつは、ロジックに注目した「わかりやすい文章」を書くためのもの。
しかし次の本でやりたいのは、完成した文を磨くのではなく、「センテンス」という一番小さい単位に到達する「まで」の思考回路をバラバラにして、センテンスを書くときに頭の中で何が起きているのかを考えることです。なぜそのセンテンスが出てくるのか、そこまでさかのぼりたいと思っています。
例えば、今回の本では「他動詞モデル」の話をしました。論文のアーギュメント(その論文の主張)を提示する際に、「AがBをVする(他動詞)」という主語・動詞・目的語の三要素に落とし込むのが「他動詞モデル」です。我々の脳内には常にさまざまな想念が去来しているわけですが、その去来している要素をセンテンスという型に収めた瞬間に、何を考えているのかが決まる、というか決まってしまう――そのあたりについて書きたいですね。
文章の「最小単位」に立ち戻る
読書猿 僕も今、『文章大全』という本を執筆中なのですが、実は僕の本でもそのあたりのことを書いているんです。たとえば「二語文」といって、乳幼児が言葉を話すとき、最初はひとつの単語しか使えないけれど、そのうち2つの単語を扱える段階がやってくる。覚えた言葉を組み合わせて、一語では言えない何かを言おうとする段階。ここからやっと、人の精神は立ち上がるんですね。
そこから転じて、僕が本当に文章を書けないときにどうしているかというと、せめて2つの単語から成る文章を書く。あるいは、もう少しレベルが上がると、2つの単語に「矢印」を組み合わせる。これは、報道の現場などで実際に使われている手法で、臨時ニュースだとまともな原稿をつくっている時間がないので、単語を矢印で結んだだけのメモをキャスターに渡すんだそうです。それでも「旅客機→墜落」「生存者→不明」といった、それなりの内容を表現することができる。さらに、括弧を使って単語を入れ子にしたりすることで、「(閉鎖経済→強まる)→(ユーロの役割→限定)」(閉鎖経済が強まることにより、ユーロの役割が限定される)みたいに、より複雑なことも書けるようになる。そういう、文に至る前のステージがあるということを説明しているんです。
思えば、生成AIを使えば一瞬でそこそこの長文が書けてしまう時代に、2人して「最小単位」であるセンテンスに立ち戻ろうとしているのも、面白いですね。
(第3回に続きます。第1回は『独学大全』著者が「画期的。誇張抜きで、文章術の教科書は、本書以前/以降に大きく分かれる」と驚いた一冊とは?)
筑波大学人文社会系助教、日米文化史研究者
1987年、北海道生まれ。2006年、北海道釧路湖陵高校卒業。2年の自宅浪人を経て、2008年、東京大学 文科三類に合格。その後大学院に進学、2014年、東京大学大学院現代文芸論修士課程修了。2014年、東京大学大学院 英語英米文学 博士課程進学。その後渡米し、2023年、ニューヨーク州立大学にて博士号取得(PhD in comparative literature)。2024年~現職。『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』は初の単著。
ブログ「読書猿 Classic: between/beyond readers」主宰。「読書猿」を名乗っているが、幼い頃から読書が大の苦手で、本を読んでも集中が切れるまでに20分かからず、1冊を読み終えるのに5年くらいかかっていた。
自分自身の苦手克服と学びの共有を兼ねて、1997年からインターネットでの発信(メルマガ)を開始。2008年にブログ「読書猿Classic」を開設。ギリシア時代の古典から最新の論文、個人のTwitterの投稿まで、先人たちが残してきたありとあらゆる知を「独学者の道具箱」「語学の道具箱」「探しものの道具箱」などカテゴリごとにまとめ、独自の視点で紹介し、人気を博す。現在も昼間はいち組織人として働きながら、朝夕の通勤時間と土日を利用して独学に励んでいる。