上を批判していたはずが、いつしか下から批判され「老害」になっている

――よくわかります。批判精神を育んできた自分たちが、いつの間にか下の世代から批判される立場になっていたことに気付いた40代にとって、いま老害って言われるのが一番怖いと思うんですよね。

石田:一個、漫才に関して僕なりの筋があるんですよ。「しょせん娯楽、ウケれば勝ち」。面白さには種類があるし、漫才もどの角度から見るかで違うように捉えられるんで、楽しんでいる人がいる人がいればそれでいいと。

 僕らだって、「ノンスタのファンです」という人に「いつもコント見てます」「漫談おもしろいですね」と言われます。僕らは自分を漫才師と思って漫才やってきたんですけれどね(笑)。お笑いをざっくりとしか捉えていないその人達も、この論争に入ってきていたわけですよね。

M-1という評価軸に合わせるべく、どの芸人も苦しんでいる

――何が漫才で何がそうでないか、おのおのの主観や好き嫌いもあって、あまりにも漠然としたお笑い論争ではありました。でもなぜかプロも素人も白熱して、お笑いがここまで一般化し、社会現象となることに驚きました。 M-1はもう「国民的行事」なんですね。

石田:たまたま M-1という戦いがあるので、僕らはたまたまM-1で優勝させてもらうことができましたけれど、芸人のスタイルによってはやっぱり向き不向きもあって。料理のコンテストがあるっていうときに、やっぱり塩むすびではなかなか挑戦できないじゃないですか。シンプルなカレー、レトルトカレーも美味しいですよ。だけどそれをアレンジしたもので評価されるかっていうと、評価されないわけじゃないけど難しい。

――どの芸人さんも、外からの評価と自分たちのスタイルと、水面下で悩んで苦しんで、ようやくの思いで答えを出していきますよね。

石田:僕らはM-1に振り回されて今があるんで。僕はずっと、笑い飯さんや千鳥さんたちに面白いと思われたかったし、M-1の評価軸に合いたかった。振り回されたからこそ乗り越えていることもあり、失ったものもある。でもそれで伸びたものもあるんです。