けれど当日の朝、父から「大切な急用ができたから遊園地には行けない」と言われたのです。横山少年はこころの底から落胆し、泣きながら抗議しましたが、逆に「遊園地ぐらいなんだ。自分の仕事には人の命がかかっている。わがままを言うな」と怒られてしまいました。

 おそらくこの出来事は、横山少年にとって大きなこころの傷になったのでしょう。それ以降彼は、「自分がこうしたい」という主張は「わがまま」だとこころのなかで変換し、欲求を封印するようになりました。

 横山医師は長男として生まれ、幼い頃から父親に外科医の素晴らしさについて教えられました。勉学にはげむことが第一であり、成績が良ければほめられる一方で、悪ければ烈火のごとく叱られたと言います。

 このような背景を経て、父親に対して畏怖を感じるとともに、絶対に逆らえない、逆らったら見捨てられかねないという無力感が、横山少年のこころに深く根差すようになりました。

「無力な自分が認められるには、父のような外科医になるしかない」と思い込んだのも無理もないことです。

 そして「患者を助ける」という大義のもとに、ほんとうの気持ちを隠しながら、周囲に認められるための努力を彼は始めました。

 一方で、「こうしたい」という欲求を封印せざるをえなかった悔しさや怒りが鬱積して、それが部下や周囲を大義で支配する行動へと転換したのかもしれません。

 カウンセリングの対話のなかでこのことに気づいた横山医師は、過去の自分の苦労と、自分が傷つけた人たちのことに想いを馳せるようになりました。

 その後だんだん彼の表情はやわらいでいき、好きな趣味の話をするときは無邪気な一面を見せるまでになりました。そんな彼を見て、もともとは穏やかな性質なんだろうと、私は思いました。

 横山医師は長年勤めた病院を辞める決心をしましたが、今後彼がどうするかはまだわかりません。ただ、これからは自分を認めてもらうために仕事をするのではなく、患者さんにも部下にも愛情をもって接することができるのではないかと思います。