文春の「誤報」があったにせよ
フジテレビに問題がなかったわけではない
『週刊文春』の報道は、特定の日に起きた事件における「社員の関与」については間違っていました。しかし同誌の続報によると、別の現役女性アナも匿名で「私も上納された」と証言しています。真相は第三者委員会の報告までわかりませんが、被害女性をめぐる一部の報道に誤りがあったからといって、フジテレビに性加害の容認、人権意識の欠如といった問題がないとは言えないはずです。
私はむしろ、多くのメディアがフジの「性上納」という問題にフォーカスしすぎたこと(これには、文春の報道の責任ももちろんあります)が、論点をぼやかしてしまった要因の一つだと思います。被害女性がどれだけの期間、どんな治療を受けたのか詳細はわかりませんが、精神科医の意見も聞いているのに、社の幹部が事件後長期間にわたって中居に事情聴取さえせず番組出演を継続させていたこと、被害女性のケアを密にしていなかったことこそが、本質的な問題だと思うのです。
記者会見の幹部たちの発言を聞くたびに、私は深層心理の中で今回の事件を「面倒事」と捉え、触れようとしなかったのだと感じました。それは、被害女性本人が港社長に挨拶に行ったとき、「謝罪がなかった」と証言していることからもわかります。結局、彼女は映像の世界で羽ばたくことを夢見ながら、それを諦める選択をしました。前述のように「解毒」は完全に失敗したのです。
繰り返しますが、問題の本質は、本来なら自社にとってプラスになるはずの行動をとった被害女性を守れなかったことです。こうした意識はテレビ局の屋台骨を揺るがしかねません。たとえば報道という面で考えると、災害や戦争など極めて危険な場所に赴いて真実を伝えるために取材を行う社員たちの尊い行動が、事故が起きることを嫌う上層部によって、「面倒事扱い」される可能性もあります。そうしたやるせなさをフジテレビ社員は感じているからこそ、ここまで怒っているのではないでしょうか。
さて、最後は「再生」です。女性に激しい被害を与えた中居の再生は絶対にありません。しかし、フジテレビに再生の可能性は残っているはずです。いや、残すべく全社員が必死になっているからこそ、「出直し会見」までしたのです。