実際、三菱自の株主構成からもその実態が分かる。現在の筆頭株主は日産だが、もともと16年に三菱自の燃費不正により日産の傘下入りをした際には、日産は約34%出資していた。だが、日産は構造改革の一環で昨年11月に約10%分を売却。現在は、約27%に出資比率が下がっている。
その日産に次ぐのが三菱商事で、昨年9月時点で20%を所有している。三菱重工業が1.44%、三菱UFJ銀行が0.99%と、スリーダイヤ御三家もそろって出資しているが、やはり三菱商事の出資割合が突出しており、必然と三菱商事の意向の影響は強まっているのだ。
そもそも、三菱自の生い立ちと苦闘の歴史には、スリーダイヤグループの支援・協業が常に絡んできた。
三菱自は、1970年に三菱重工の自動車部門が独立して設立された企業だ。その年の直前に、三菱重工は当時の米ビッグ3の一角だったクライスラーと合弁事業の契約を結んでおり、以来、三菱自はクライスラーと長く資本提携関係が続けてきた。クライスラーと三菱重工が当初結んだ内容が“不平等契約”だったこともあり、提携では厳しい状況も強いられた。
それでも三菱自は、軽自動車、小型車から「デボネア」といった高級車に至るまで幅広い乗用車のラインアップに加えて、小型トラックや普通トラックの「ふそうブランド」の商用車も抱え、多彩なバリエーションで世界にも類を見ない総合自動車メーカーの地位を高めていく。
三菱重工の航空機(戦時中の戦闘機)の設計・開発者が自動車部門に転向し、三菱自のトップに相次いで就任するなど、高い技術力が成長をけん引した。さらに、韓国・現代自動車への技術供与やマレーシアの国民車メーカーであるプロトンとの提携など、海外にも大きく貢献した。