自分自身の「停滞」に寛容になれた

 また1度目の退職時は、会社を辞めたあとに何も成長していない自分に対して、「このままだとヤバい」「何かを学ばないといけない」と焦りばかりが生まれていました。たった数カ月だったのですが、停滞している自分の人生を受け入れられなかったのです。

 一方で今回の早期退職にあたっては、「今少し停滞したからといって、人生に大きな影響はない」「むしろ成長につながらないこと楽しむことこそ、人生の余裕」と寛容になれたと感じます。

 定年退職後は人生の再スタート。自分が楽しいと思うことだけを楽しめる時間。何も不安になることはありませんよ。

社名、役職……「肩書」がなくなるとどんな気持ち?

Q 企業や役職などの肩書がなくなるというのは、どんな感じですか
寺澤さんにはこれまで常に大学や企業名などの肩書が付いて回っていたと思います。この肩書がなくなるというのはどんな感じですか。肩書が外れた後に「あなたは何者ですか」と聞かれたら、自分ならどのように答えるだろう?と想像したら、言葉に詰まってしまいました。ご意見をうかがいたいです。

 肩書はうまく使えばいいものであって、普段からそれに縛られるものではないと考えています。またご質問にある「あなたは何者ですか」の回答として、いつからか、会社などの肩書を使っても、それはまったく自分自身を表現していることにならないなと感じていました。

 たしかに自己紹介で「GAFAで事業企画部の部長職に就いています」と言うと、「すごいですね!」という反応が返ってくることはありました。しかしそれは、私ではなくてその企業がすごかったわけです。

 それよりは「作家としてビジネス本を書いています」「早期退職して自由な人生を送ることを決意しました」「将来の夢は、自分の経験を世の中に伝えて、多くの人の人生に影響を与えることです」と言った方がよっぽど自分らしい肩書、自己紹介になるなと感じています。

 私は私であり、企業や所属体の一部ではありません。自分の紹介をするのに、企業という概念から抜け出せたという意味では、企業に所属しているという肩書は無くなってよかったのかなとは思います。

 とはいえ、20年以上大きな企業でさまざまな仕事を経験させてもらったことはすべて自分の血肉となっているわけですから、効果的に使える場面ではそうした肩書もうまく使っていければと思います。

 これは一見矛盾しているように思われるかもしれませんが、企業など自分が所属している場所の名称に固執する、もしくはそれしか肩書がない状態になってしまうのではなく、自分でも自分なりの肩書を持ち、そのうえで所属体の情報は効果的に使っていくような、二刀流のスタンスでいられたらいいなと思っています。