ノマドを命名したのは、鈴木社長自身

 大量受注という嬉しい悲鳴の中、スズキがどうやってインド生産のジムニー ノマドのバックオーダーをさばくのだろうか。

 品質について鈴木社長は「どこで作っても、スズキ品質」とインド製の弱点はないと言い切る。インドから日本への輸送時間が長く、ボディへの傷の配慮から、全数を湖西工場で再度品質検討を行った上で出荷する。

 こうした手間がかかるクルマの増産体制を考えることは実に難しい。

 では、5ドア車の商品企画はいつから始まったのか?

 今回の会見でスズキ関係者は「18年の現行モデル(4代目)開発時点では、正式な商品化の方向は決まっていなかった」と振り返る。

 確かに、18年に3ドア車が登場した時点で、筆者が当時の担当チーフエンジニアと意見交換した際も「可能性の一つ」と表現していたものの具体的な動きは社内にないと話していたことを思い出す。

 その後、19年の東京オートサロンでジムニー シエラをベースとした3ドアピックアップトラックを出展したので、それを受けて同チーフエンジニアに5ドアの可能性を聞いている。その際の回答は「バックオーダーを少なくすることが最優先。5ドア車の話はもう少し先」というものだった。

 そうした中、海外市場への対応として、インド工場で20年11月から輸出専用車としてジムニーの生産を開始。

 さらに、23年発表のジムニー5ドアは、4代目ジムニーとしては初めてインド国内でも発売を始め、それとほぼ同時に世界各国へ輸出することでグローバルカーとして位置付けた。日本は101番目の海外輸出先となる。

 そう聞くと、「日本市場が後回しになった」と思う人がいるかもしれないが、あくまでも国内生産の3ドア車の生産・販売動向を見据えたグローバル事業戦略の一環として、このタイミングでの5ドア車日本導入となったという解釈だ。

 なお、海外市場では軽自動車規格がないため、全モデルが日本でいう登録車となる。日本では主力モデルの軽自動車にジムニーと名付けているため、登録車では3ドア車がジムニー シエラ、そして今回導入の5ドア車がジムニー ノマドとなった。ノマドとは、フランス語で遊牧民を指す。

 鈴木社長は「名称の発案は私だ。コンパクトSUV市場を切り開いた、エスクード ノマドから取った」と5ドア車に対する思いを強調した。