大物アーティストへの直接交渉
常識を知らなかったからこそできた

――先日、全作品を巡るガイドツアーに参加しました。現在、国内外のアーティスト92人による109点の作品がありますね。新宿などほかの都市部のパブリックアートは、欧米の白人や日本人の男性の作品が多い印象ですが、ファーレ立川には、アジアやアフリカ、中南米などの作家の作品も多くあります。これほど多種多様な作品を集めた意図は何でしょうか。

 アートの最大の思想的基盤は、「地球上の人間は全員違う」です。

 何となく私たちは、足して、その数で割って、平均を求めたがります。AからZまで足して、それを26で割る。センターはNとMで、これが人間であると考えがちです。でも、ウルトラAもあれば、とんでもないZもある。足して割ることができないのが80億人の人間です。ですから、アートにマーケティングはそぐわないはずなんです。

 ファーレ立川は1994年の10月13日に完成しましたが、計画から完成までの間、日本の首相が3人も交代しました(※)。アメリカに許可をもらうためか、いずれも真夜中だったと思います。世界では、ベルリンの壁が崩壊し(1989年)、ソ連が崩壊して(1991年)アメリカが世界の警察になっていく。インターネットが普及し始め、世界が同時的に動き出したころです。
※宮澤喜一内閣(在職期間1991~1993年)→細川護煕内閣(在職期間1993~1994年)→羽田孜内閣(在職期間1994年)→村山富市内閣(1994~1996年)

サンデー・ジャック・アクパン氏によるオブジェナイジェリアの作家、サンデー・ジャック・アクパン氏によるオブジェ。正装したナイジェリアの首長たちの肖像。
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 一方で、多くの課題が膨れ上がっていました。民族問題、南北問題、宗教問題、エイズ、遺伝子組換え、環境問題、メディアのあり方やライフスタイルの変化。日本ではバブルが崩壊し始め、社会に大きな変化が訪れようとしていました。

 でも、世界の同時化の中にいた日本は、そこに気付けなかった。実は世界は多様であり、その多様な世界を映す街にしたい。そう考えて、出身地、コンセプト、手法の異なったアーティストの作品を導入したのです。

 住宅・都市整備公団は、バブル崩壊の中で何とか持ちこたえて計画を進めてくれました。とても感謝しています。また、近隣の住民や企業、植栽や照明などさまざまな職人の方々も積極的に協力してくださいました。

 結果、立川市のアートプロジェクトは、それまでの国内のパブリックアートとは相当違うものになりました。作品のファンはそれぞれ違いますからね。中心に最大公約数的なものを置くのではないんです。ここで考えた機能のアート化、回遊性、多様性は、その後の「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟県十日町市、津南町)などの芸術祭の原始となりました。

――アートプロジェクト全体で費用はどのくらいかかったのでしょうか。

 約10億円です。理由はシンプルで、該当エリアの再開発の予算が約3000億円だったんです。建築含め。その0.3%をアートに充てました。
 
 当時、美術的な伝統の薄かったアメリカでは、建築予算の1%を文化に使うべきという「パーセント条例」などが取り入れられていたんですね。そのころ、日本は表向きは景気がよかったので、そうした世界的な流れを意識し、横浜市や東京都庁もアート作品を多く設置していきました。

 立川市においては、1%はいくらなんでも無理だとのことでしたが、団ががんばってくださり、0.3%でOKを取ることができた。それで、約10億円の予算を充てられることになったのです。

 作品は109点あるので、1つ当たり大体800万円ぐらいですね。今新しく作品をつくってもらったら5億円とかするアーティストもいますから、よく引き受けてくれたと思います。

――直接、交渉しに行ったのでしょうか。

アニッシュ・カプーア氏による植栽内オブジェイギリスの作家、アニッシュ・カプーア氏による植栽内オブジェ。
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 ほぼすべてそうだったと思います。当時、私は48歳で、そういったことを何も知らないで、「こういうアートならこの人だ」と思って依頼しに行きました。

 だって、当時は今みたいにインターネットが当たり前ではないですからね。本や雑誌を見て代表作家を知るしかないですし、直接行って交渉するしかない。アニッシュ・カプーア氏とか、よくこのコストでつくってくれたと思いますよ。世界各地のアーティストたちは、私のことなんてまったく知らないんですから。

 でも当時、私たちは堂々とやっていました。今思えば無謀ですが、勢いといいますか、アートシーンの常識を知らなかったからできたことだと思います。

マーティン・プーリエ氏による作品アメリカの作家、マーティン・プーリエ氏によるベンチ。御影石の上に、ステンレスの「透明な島」が浮かぶ。
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 印象に残っていることはいくつもあります。例えば、大きなステンレスのベンチをつくってくれたアメリカの現代彫刻家のマーティン・プーリエ氏からは、最初、門前払いされました。

 ニュージャージー州の外れに家があったのですが、帰るためのバスは2時間後。何もやることがなくて困ったなと思っていると、プーリエ氏の家の庭に大きな犬がいる。プーリエ氏はだめだったけれど、この2時間を使って、せめてこの犬と仲良くなってやるぞと、塀の外から犬と遊んでいたんです。

 すると、プーリエ氏は家の中からそれを見ていたようで、家から出てきて「やるぞ」と。動物と付き合うことと、アートと付き合うことって、割と似ているのかもしれません。