アートはさまざまな「開口部」を持つ
閉鎖的な時代の未来をひらく
――ファーレ立川が生まれて30年がたち、維持に関する新たな課題も出てきました。作品の今後の維持に関しまして、北川さんはどのようにお考えでしょうか。

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もちろん、基本的にはすべて残したいと思っています。ひとつの街の記録ですからね。ただ、立川市だったり、ビルの所有者だったり、それぞれオーナーが異なる事情もあります。
すべての作品、しかも公共財産もあり、これらの関係者から合意を取るのは本当に大変なことです。ですから、どこかへ移築することになったり、オーナーが代わったりすることも、今後はあり得るとも思っています。
それに、寿命が短いものもあれば、長いものもあります。例えば、ウスマン・ソウ氏による像は、乾漆像(かんしつぞう)の部分があるので傷むのが早い。こういうのは優先的に手を打たなければなりません。アニッシュ・カプーア氏の作品は鉄なので錆(さ)びる。あれは錆びると強くなる作品ですから、寿命が長い。そのように、ひとつひとつ寿命が違うんですね。先ほど申し上げたように、できるだけ違うタイプのアーティストの作品を導入したので、材料もさまざまです。ですから、当然、生命力の差はあります。
109の異なる作品があれば、それぞれにファンがいる。「ウスマン・ソウの作品は私たちで守るよ」「この作品は私が買うよ」とか、そういう人も出てくるかもしれません。
いろんなことを思い出してきましたが、ファーレ立川ができたとき、私たちのスタッフが立川に住んで、すべての作品を見回るようにしましたね。いたずら書きされたら、すぐに直す。こういうのは放っておくとだめなんです。どんどんやられてしまう。
作品の維持や管理、保存、作品の保護に関する公共意識の育成は、これまで、ファーレ立川アート管理委員会や、公益財団法人立川市地域文化振興財団、ボランティア団体のファーレ倶楽部など、多くの関係者や団体が行ってきてくださいました。
今後、維持やメンテナンスのお金の集め方、もちろん、クラウドファンディングもひとつの手段かもしれませんが、そうした資金調達の方法や、メンテナンスすべき作品の優先度、アーティストや関係者への合意、それら全体のスケジュールなど、今後に向けた長期スパンでの新たな構造的な仕組みづくりが必要であり、それらを話し合う場をつくらなければならないのだと思います。
――次世代に向けた構造的な仕組みづくり、それには、109作品ごとの109種のプランも必要ということですね。そのための最大の課題は何だと思いますか。
課題は、やはり「合意」でしょうね。アーティストたちは、ファーレ立川に設置する作品がその後もずっと残っていく作品ではないことはわかっているんです。

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車止めの機能を持つ作品は、それで交通事故を防げたら、例え車が突っ込んできて壊れても、用を成し遂げたんだと。そういうことは合意しているんですよ。ですので、次世代に向けた仕組みがつくられた場合、アーティスト本人たちの合意は取りやすい。まさかこんなに長く維持できるとは思っていなかったと思うので、そこはあらためて覚(おぼえ)書きをつくる必要はあると思います。
企業や地域の人たちも、当時から関われているかたも多く社会性のある事業なので、比較的、合意は取れやすいはずです。でも本当のところ、一番トラブルになりそうなのが、アーティストの家族なんですね。
ファーレ立川とは別ですが、こういうことがありました。Aさんというアーティストがいて、本当にいい人だった。Aさんと、Aさんの奥さんも仲むつまじく見えた。でも、Aさんが亡くなると、Aさんの奥さんや家族は、一瞬ですべてそれをお金に換えてしまった。こうした例は意外と多いんです。
109点の作品のアーティストは、すでに亡くなった方もおられますが、個人的な所有財産である場合、お金の観点から見ると、ややこしくなる問題はたくさん内在しています。ですから、できるだけ早めに仕組みづくりは着手しなければなりません。私も各地の芸術祭で慌ただしい日々が続いていますが、いま一度、ファーレ立川に立ち返り、仕組みづくりに参加したいと考えています。
アートは無用なものでありながら、さまざまな「開口部」を持っています。私たちの国は資源が少ないので、ソフト資源を大切にしなければなりません。
「基地の街」「特徴を失った街」が、「文化の街」へと変貌を遂げた立川のように、その土地のマイナスをプラスの資源に変える試みが必要です。こうした試みや活動の積み重ねはやがて、人をひらき、人間や文化の多様性とつながり、未来をひらく。世界でぶり返してきた排外主義を洗い流していく一歩となるはずです。