ワールドカップを唯一無二の大会に
FIFAが設けた年齢制限
身分はアマチュアの国家公務員ながら、報酬と競技に専念できる環境を国から与えられた、実質的なプロとなる「ステート・アマ」を擁する共産主義国家、いわゆる東側諸国が台頭。ハンガリーやソ連を中心に、1980年のモスクワ大会まで8大会にわたって金メダルを独占し続けた。
優勝だけではない。銀メダルも1960年ローマ大会のデンマーク、銅メダルもヘルシンキ大会のスウェーデン、1968年メキシコ大会の日本だけという東高西低の状況を受けてFIFAが動いた。
FIFAは1980年モスクワ大会から、ヨーロッパ勢と南米勢に限り、ワールドカップ予選と本大会に出場した選手のオリンピック出場を禁止した。しかし、ソ連のアフガニスタン侵攻に反発した西側諸国のボイコットもあって、モスクワ大会の表彰台はまたもや東側諸国で独占された。
続く1984年ロサンゼルス大会からは、IOCがプロ選手の参加を容認した。プロ選手に対する世界的な潮流に従ったもので、FIFAに対してもプロ選手の全面的な参加を要望した。しかし、FIFAはワールドカップとの差別化が図れず、価値が下がるとしてモスクワ大会と同じルールを継続した。
今度は東側諸国の大半がボイコットしたロサンゼルス大会は、フランスが初優勝し、準優勝したブラジルも初めてメダルを獲得した。テレビ視聴率を稼げて、集客も期待できる完全プロ化を望むIOCと、ワールドカップを唯一無二の存在としたいFIFAの暗闘はさらに激化した。
FIFAはソウル大会で、オリンピック開催時で「23歳以下」の年齢制限を設けた上で、プロ選手を全面参加させる方針を固めた。しかし、IOCの猛反発もあって一度は取り下げられた年齢制限は、1992年バルセロナ大会から正式に導入され、オリンピックは23歳以下の世界大会として再編成された。すでに20歳以下と17歳以下のワールドカップが開催されていたため、23歳以下いう区切りが設けられた。
主張がほぼ平行線をたどったIOCとFIFAが妥協した産物として、すべてのオリンピック競技で唯一、男子サッカーは出場への年齢制限が設けられた。しかし、バルセロナ大会は開催国スペインが初優勝したにもかかわらず、当初の見込みより視聴率と集客数が伸びなかった。