今月7日に始まった、新しいローマ教皇を決める選挙「コンクラーベ」。その裏で注目を集めているのが「カトリック信者」たちの暮らしです。そこでこの記事では、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』で描かれた、修道院でのルーティーンを紹介します。著者の川原マリアさんは、敬虔なカトリック信者の家庭に生まれ、12歳からの6年間を「修道院」で過ごしました。あらゆることが禁止された環境によって、不自由な現実に「悩まなくなる考え方」を身につけたと言います。本書が示す悲観でも楽観でもない新しい視点には、「モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書の内容を一部抜粋・編集して紹介します。

6時に起きて、急ぎ足で点呼に向かう
修道院の生活がイメージできない人もいるかと思いますので、ここで少し、修道院での1日を紹介させてください。すべての修道院、志願生が同じわけではありませんし、うろ覚えな部分もありますが、私の場合はこんな感じでした。
修道院での起床時間は朝6時です。
当番の人たちはその少し前に目覚ましをかけて起床し、そっと所定の場所にスタンバイ。6時ぴったりに、手に持った鐘をチリンチリンと鳴らします。志願生が暮らす部屋は3階と4階に分かれているため、各階に1人ずついる当番が10部屋ほどのドアをひとつずつ開け、すべての志願生を起こしていきます。
目覚まし当番以外の人は、鐘が鳴った瞬間に飛び起きると、布団を10秒もかからず畳み終えて押し入れにしまいます。
そして廊下に飛び出して、洗面所へ行き身支度を始めます。洗面をする場所にもかぎりがありますから、お気に入りの場所を取るために急ぎ足になります。
歯を磨いて髪を整えたら、また急いで部屋に戻って制服に着替え、2階でおこなわれる朝の祈りと点呼に向かいます。
起きてからこの点呼まで、時間は10分もありません。
せっかちな子もいれば、のんびり屋さんな子も。もちろん、朝が苦手な子もいて、私もそのうちのひとり。どうしても布団から出られない日もあって、うっかり寝過ごして起こされることがしばしばありました。
沈黙の「朝食」
点呼が終わると、小走りで「お御堂」に向かいます。そこで毎朝、シスターや神父様たちとミサを受けます。
ミサはだいたい40分から1時間。そのミサでも、祭壇の準備や、片付け等の当番があてがわれています。
朝の神聖な時間ですが、私たちは未熟な10代、それに起きてからまだ数十分ほどですから、つい居眠りをしてあとから叱られることもたまにあります。
ミサが終わると、次は朝食の支度。配膳当番が急いで炊事場に朝食を取りにいき、数十名分の食事を用意します。朝食はたいていパンと牛乳と果物で、日替わりで塗るジャムや果物が変わります。
「食堂」には食卓がずらりと並んでいて、1つの机に大体4人が座り、果物は目の前に座った人と分けあいます。
全員が揃ったら食前の祈りをして、朝は黙々と食事します。
すべてが「塀の中」で完結していた
朝食を20分程度で終わらせると、7時20分頃には修道院の掃除が始まります。
担当場所は毎週変わります。場所ごとに掃除の手順やルールが異なるため、時間がかかる場所の場合は、近くにいる人も手伝って掃除します。
20~30分ほどかけて掃除を終え、7時50分頃になると、2階から「カランカラン」と鐘の音が聞こえてきて、登校の時間が告げられます。
登校といっても、私の場合は、中学校も高校も修道院と同じ敷地の中にありました。一般の生徒も1000人ほど通っていましたが、私たち志願生の日常は、そのすべてが、塀でぐるりと囲まれた敷地の中で完結していたのです。
中学校と高校は一体となっていて、中学1年生から高校3年生まで、教室が混在していました。そのうえ「〇〇館」といくつもの校舎に分かれており、入学当初は迷路のように感じたものです。
先輩に会釈をしながら教室に向かい、同級生に元気に挨拶をして鞄を置いたら、またお御堂に駆け足で向かいます。8時過ぎからロザリオの祈りがあるからです。
6時から9時まで、半分は「祈り」
ロザリオの祈りとは、カトリックで古くから愛されている祈りのひとつです。
マリア様が受胎告知を受けるところから、イエス様が教えを広め、ゴルゴタの丘で処刑され、復活するまでの軌跡を辿りつつ、世界平和を祈るものです。
教会で神父様主導でおこなわれるミサとは違って、所定の場所でなくともできる祈りであり、よく神父様やシスターの衣装と共に象徴的に描かれることがあります。
私たちも硬い板の上に跪き、授業の始業直前まで40分ほどかけて毎朝祈っていました。
つまり6時に起きてから9時前まで、約半分はミサやロザリオなどの「祈り」に費やしていました。
8時40分頃にお祈りが終わったら、急いで教室に戻ります。50分頃に朝礼が始まり、そのまま授業が開始するからです。
お昼休みになると急いで修道院に戻って昼食をとり、放課後まで一般の生徒と一緒に学校生活を送ります。なお朝食以外は、食事中の会話が許されています。
(本稿は、書籍『不自由から学べること』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では、著者が修道院で学んだ「人生の不自由さに悩まないためのカトリックの教え」を多数紹介しています。)