また、43歳の男性は、3日前に成田空港で入国しようとしたが、「帰路の航空券を持っていない」との理由で、そのまま送還されたと話した。日本に入国しようとしたのは2回目だが、1回目もやはり入国できずに送り返された。
彼の兄は6年間、日本で難民申請をしつつ、解体業の仕事をしていたが、家族を呼び寄せることができなかったのと、父親が病気のために戻ってきたと言う。確認はしなかったが、兄の代わりに日本に向かったのだろう。
集会所には出入りがあったが、半分ぐらいの男性が日本とのつながりがあるようだった。そこに集まった男性たちの間では「我々は仕事がない、収入がない。インフレーションがひどい」と経済状況への不満が強かった。
ある男性は「月100ユーロ(約1万6000円)を稼ぐのがせいぜい」と嘆いた。
村の人口は約2000人だが、生活の苦しさから多くが海外に出ている。100~150人が日本に在留し、ほかにも欧州諸国などに行っているため、村に残っているのは650~700人に過ぎない。車で通りすぎただけだが、確かに村で目につくのは老人と子供ばかりだった。
「政治的な迫害があるのが日本に行く1つの理由か」との質問に対しては、「1990年代には多くの弾圧があり収監もされたが、今はこの地域ではそうした迫害はない」と言う。
ただ、「都会に出てもクルド人だから仕事がない。その上、我々はアレヴィー派(イスラム教の少数派)の信徒でもあり、仕事から排除されている」と語り、経済的困窮の背景には差別があると主張した。
ふもとのパザルジク市には大きな工場も目に付いたが、村の雇用は生んでいないという。
日本に行った親族からの仕送りや、本人が帰国したときに立派な家を建てたり、商売を始めたりするケースが他国ではあるが、この村の場合はそういうことは少ないようだ。
ジャンさんも「時々仕送りしてくるくらい。日本に行く90%の人が自分の家族を養うため。日本での生活がぎりぎりな人が多い」という。