この制度、一応、計算上は働いた時間に対応する残業代は支払われることにはなるので、パッと見には何が問題なのかわかりにくいかもしれないが、実は、超長時間労働を誘発する極めて恐ろしい制度なのである。
固定残業代の繰越が積み上がると
繁忙期にすさまじい消化が起きる
そもそも時間外労働に対して割増賃金が支払われるのは、企業側に残業抑制のインセンティブを与えることによって、労働者の健康を守るためである。つまり、残業代とは、企業にできるだけ残業させたくないと思わせるためのものなのである。
しかし、「固定残業代の繰越制度」は、これと真逆のインセンティブを企業に与える。
たとえば、閑散期が続き、上記(B)の月が半年くらいあった状況を想定してみてほしい。
固定残業代の「繰越分」は、既に30時間×6カ月で180時間分も溜まることになる。
企業からすると、この180時間は、働いてもらわなければ残業代の払い損であり、むしろぜひとも長時間働かせたい。
こうして、いざ繁忙期が来たとき、企業は進んで労働者に超長時間労働をさせることになるのである。
この制度は、繁忙期・閑散期がある企業にとっては、とりわけ“合理的”な制度である。
青年のシステムエンジニアという職業も、大きな案件の納期間際は極めて忙しく、他方、受注が途切れたときは手すきになるという、繁閑の差が著しい仕事であった。
実際、この青年については、閑散期に繰り越された固定残業代の蓄積が、もっとも多い時期では150時間分以上にも達していた。
繁忙期にはこの蓄積された繰越分が湯水のように消化され、酷い時期には1カ月あたりの時間外労働時間が180時間を超えるまでに至ったが、残業代の差額精算分は発生しないか、あるとしてもごくわずかな額にとどまっていた。そしてこの180時間超えの時間外労働の翌月に、青年はうつ病を発症したのである。
あれこれ法律文献を調べてもほとんど記載が見つからないような制度であったが、それでもこんなものは明らかにおかしい、という直感にしたがい、弁護団は総力をあげてこの事件に取り組むことにした。