もちろん、一部の企業では選抜試験などを通じてマネジャーを抜擢する仕組みを導入しているケースもあります。ただ、そのような企業はまだまだ少なく、「一定のキャリアを積んだらマネジメントを担うものである」と消極的選択によってマネジメント職に就く人が多いのが現状です。
このようにエスカレーター式にマネジャーに就く慣習の中では、プレーイングマネジャーが多く生まれてしまうのも仕方がありません。
一番キャリアビジョンを描けていないのは
マネジャー自身である
そもそも、マネジャーの本来の役割とはなんでしょうか?
私は、マネジャーとは「人を通じて事を成す」機会を経営陣から預けられている立場だと考えています。自分一人でできることは限られますが、チームや組織で取り組めば、仕事を通じてできることの幅は広がります。そんな権利のようなものがマネジャーには与えられていると言えるかもしれません。
つまり、本来のマネジャーは、一人では実現できない面白いことや大きなことにチャレンジできる可能性を持っています。しかし、“マネジャーの必修科目化”によって、そもそも自分が「実現したいこと」や「成し遂げたいこと」にじっくりと向き合うことがないままにマネジャー職についてしまった人が圧倒的に多いのです。
キャリアビジョンやライフミッションがない中、会社に用意された階段をじわじわと登らされ、精神的な負担は増えるにもかかわらず、給料はそれほど上がらない――これでは、マネジャーになりたい人は増えませんし、「管理職は罰ゲーム」と言われるのも、ある意味当然でしょう。
例えるなら、義務教育の中で英語を教えられてきたのと似た感覚かもしれません。
一部の感度が高い人を除き、大半の人がなぜ英語を学ぶのか、何に生きるのか必要性を感じないままに「一生日本で暮らすつもりなんだけどなぁ」と思いながら卒業するためにとりあえず勉強する。マネジメントも会社の中でそのような感覚に近く、半強制的に取り組まざるを得ない状況が生まれています。