ノートの読み返しから生まれる「個人的発見」

 このように無目的な読み返しをしていると、思いがけず「いい言葉」に出会ったり、個人的な発見をすることがあります。多くは自分が書き写した文章なのですが、時間がたってから見ると、以前は「なんとなくいいな」という程度だった言葉が「すごい言葉だ!」と思えたり、まとまらないかに見えた考えが輪郭を持ったりすることがあるのです。

 僕は、2013年の1月に、チェコの作家、カレル・チャペックの『いろいろな人たち』(平凡社)の読書ノートをつくりました。そして最近、仕事でノートを参照していたら、この本の読書ノートが出てきたので、読み返していると、「アメリカニズムについて」という文章が出てきました。

 これはチャペックがニューヨークの新聞発行人に宛てて1926年に書いた手紙で、主にアメリカ文化に対する批判です。はっきりとはしないけれど、自分にとって「何かとてつもなく重要な示唆がある」と思ったので(まだ年初でやる気にあふれていたこともあり)、9ページにわたる全文を何日かかけて書き写し、コメントを書いておいたのでした。

 書き写したときに「おもしろい」とコメントしているのは、チャペックが家を建てたときのエピソードです。古いタイプの家を希望して着工したものの、レンガ職人や大工、指物師などの職人はストライキをしたりおしゃべりに興じたり、ランチにビールを飲んだりしていて、遅々として進まない。結局、小さい家の完成までに2年もかかった、とチャペックは書いています。アメリカなら3日くらいで建つような家が、です。

 しかし、チャペックはこの「遅さ」こそが、ヨーロッパの偉大さだというのです。2年間の現場訪問と職人たちとのやりとりによって、「私の家との関係は無限の親密さに成長しました」と。

 なんだか素敵な話だなあ、と思いながらも、うまく言葉にならなかったので「おもしろい」と書いておいた。しかし、ノートの読み返しでヒントを得ました。それは、書き写しておいた次の言葉を読んでいたときです。

わたしはヨーロッパでたくさん仕事をした、アメリカのある大物のことを聞きました。その人は列車の中で自分の秘書に手紙の口述筆記をさせました。自動車の中で大きな会議を準備したり、昼食をとりながら小さな会議をしました。われわれ原始的なヨーロッパ人は、昼食の時には普通に食事をし、音楽の時には普通に耳を傾けます。どちらもおそらく時間の浪費になるでしょうが、実際に自分の人生を浪費してはいません。(P289)

 これを読んでハッとした僕は、急いでペンを取り出して波線を引き、こう書いておきました。

「時間の浪費より、人生の浪費を恐れよ」

 チャペックの家を建てたエピソードがおもしろいと感じたのは、そこに登場する職人やチャペック自身が家を建てるのに2年もかかっているにもかかわらず、充実しているから。つまり、時間はムダにしても、人生をムダにしていないからだとわかったのです。この言葉は、僕の中で今もっとも重要なテーマになっています。

 さて、こういった「個人的発見」が、本の再読だけでできるかというと、難しいのではないかと思います。本は、「仕事や用事のついでにちらっと読む」ということがなかなかできないからです。しかし、読書ノートならちょっとした空き時間で簡単に読み返すことができます。