優先株式の問題点

 いいことばかりのようですが、優先株式には問題もあります。

 1つには、優先株式を使った実務が非常に複雑だということです。「複雑だけど、デファクト・スタンダードの形式が決まっているのでそれさえ覚えればいい」というならまだいいのですが、(ある程度表現のパターンや幅は決まっているものの)さまざまな要素のバリエーションの組み合わせになるので、優先株式を発行するときの定款や契約は、非常に個別性が強いものになります。

 2つめに、1度優先株式を発行したら、その後は原則として株式の種類ごとに「種類株主総会」を開催する必要があるということです。たとえば、普通株式とA種優先株式、B種優先株式という3種類の優先株式を発行している場合、株主総会の他に、普通株主総会、A種優先株主総会、B種優先株主総会と、4つの株主総会を開催しないといけないことになります。

 ベンチャーは、ストックオプションの発行、株式による資金調達、オフィスの移転など、しょっちゅう株主総会を開く必要があるので、とりわけ大変です。もちろん、省略できる場合もあるのですが、仮に行わなければいけない種類株主総会を飛ばしていた、ということになると、その後の決議がすべて無効だったということになりかねません。実際に種類株主総会が抜けていたために、上場審査が止まってしまって上場できない、といった恐ろしい話を多数聞きます。つまり、何かするたびに必ず、優先株式に詳しい弁護士などのチェックを受ける必要があり、その分コストや手間もかかることになります。

 これらのことから、優先株式は、数百万円から数千万円程度の比較的少額の資金を調達する場合にはお勧めしにくいことになります。実際、優先株式が使われているのは1億円以上の資金調達の場合が多いと思います。

優先株式はどうすれば普及するか?

 日本でも優先株式の活用は増えてきてはいるのですが、この優先株式を積極的に使ってシード・ステージやアーリー・ステージのベンチャーに億円単位で投資をするベンチャーキャピタルは、残念ながら日本にはまだ10社前後しかありません。そして、ベンチャーキャピタルは、銀行などの金融機関と違って、いつでも資金を出せるわけではありません。次のファンドを組成中だったりすると投資してもらえませんし、ファンドや担当者によって、注力している領域や好き嫌いもありますので、実際に相談できる先はさらに少なくなります。

 つまり、アーリー・ステージの企業が1億円以上の資金を調達したいと考えた場合、相談できるベンチャーキャピタルは数社程度しかないということになってしまうわけです。*3

 なぜ、シード・ステージやアーリー・ステージのベンチャーに億円単位の資金を投資するベンチャーキャピタルが少ないのでしょうか?

 もちろん、「シード・ステージのベンチャーのことがわかるベンチャーキャピタリストが少ない」「リスクを取る根性があるベンチャーキャピタリストがいない」といった理由がないとはいいません。しかし私は、優先株式を使いこなせないと、リスクの高いアーリー・ステージのベンチャーに1億円以上といった大きな資金を投資することが難しいという技術的な理由も大きいと考えています。

 優先株式の知識やノウハウは、限られた人にだけ許される特権的な知識であるとか、その理解に常人をはるかに上回る頭脳が必要というわけではありません。基本的には誰でも、使えるひな型があって何回か投資実務を経験すれば理解できることだと思います。

 逆に言えば、今まで巷で日本のベンチャーキャピタルに対して言われてきた“悪口”、たとえば「ベンチャーキャピタルのくせにリスクを取らない」「売上や利益がまだない会社には投資しない」「少しの資金しか出さないくせに、過大なシェアを取る」「『上場できなかったら経営者が株を買い戻せ』といった、リスクをベンチャー側に押し付ける条項を投資契約に入れてくる」などは、なにもベンチャーキャピタルをやっている人たちの性格が悪いとか、能力が低いといったこと(だけ)が理由ではないということです。つまりそのうちのかなりの部分は、「普通株式だけで投資をしてきたことで必然的に陥る帰結」だったと言えます。

 また、ファイナンスの知識は一方が知っているだけでは用いることができません。ベンチャー投資における優先株式の内容や投資契約等は、相手がいて、その相手とのやりとりの中で内容が決まっていくわけですから、「コミュニケーション」とか「プロトコル」としての要素があります。優先株式や株主間契約は、一部の弁護士やベンチャーキャピタルだけが理解していればいいわけではなく、ベンチャー経営者や、そのベンチャーキャピタルが投資する前のエンジェル投資家など、ベンチャーの生態系に属する人全体が理解していないと、話がまとまりづらいわけです。つまり「ネットワーク外部性」が働くことなので、1社だけがいくらがんばっても問題は解決しないわけです。

 起業家の側も、この意味を知らないと、(世間がバブっているときはいいですが)そうでないときには高いvaluationで投資が受けられないし、希望する資本政策も取れないことになります。この優先株式の知識をベンチャー生態系にいる人々に広く理解してもらうことこそ、ベンチャーを巨大な企業にまで急速に発展させていくために必要なことの1つだと考えています(そして、それこそが本書を書いた最大の動機です!)。

*3  もちろん、ライフネット生命保険のように、ベンチャーキャピタル以外の金融機関や事業法人からも含めて、創業期に132億円も資金調達した例もありますので、ベンチャーキャピタルだけから資金調達を考える必要はありません。日本には1,000兆円単位(ベンチャーキャピタルが投資している金額の1万倍規模)の資金があるので、計画が合理的で、それをきちっと説明できる能力があれば、資金調達はできるはずです。……が、ベンチャー投資を専門でやっている人以外にリスクの高い投資を説明するのは極めて骨が折れますので、ベンチャー投資専門であるベンチャーキャピタルが増え、資金量も増加することが望ましいのは、言うまでもありません。  


【新刊のお知らせ】

日本にGoogleのような企業が出てこないのは<br />優先株式が普及していないから定価:本体3,600円+税
発行年月:2014年7月
A5並製、頁数:432
ISBN:978-4-478-02825-4

◆磯崎哲也 『起業のエクイティ・ファイナンス

2010年に発売されるや、ベンチャー関係者のバイブルとなった『起業のファイナンス』の続編。ベンチャーが活況を呈し、M&Aも一般的になった結果、起業をめぐるファイナンスも優先株式等を使った複雑なものになってきた。そうした実情に対応し、本書ではより専門的なエクイティ・ファイナンスの実務手続きを解説する。

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