4年待っていてくれた、経営パートナー

出雲 俳優ロバート・デ・ニーロ氏の誘いがあって、1994年8月に「NOBUニューヨーク」を開店されている。これ以降、世界各国に進出される時もずっと、「デ・ニーロなしではだめだ」と、関係を大切にされてきました。私にも似た経験があるのです。起業してから2年間、鳴かず飛ばずだったユーグレナに声をかけてくださったのが伊藤忠商事でした。この先どうなるかも分からない私たちを支えてくださった伊藤忠商事には、ただ「儲かる儲からない」ではなくて、ずっとお付き合いしたいと思いながら、今もビジネスをしています。

松久 今や共同経営者のデ・ニーロとは、僕がロサンゼルスに38席ほどの小さなお店を構えていた時に知り合いました。僕は彼に、いっしょにニューヨークで店を開こうと誘われましたが「店を開けたばかりだから、今すぐは無理です」と断ってしまいました。

包丁一本の料理人と、試験管一本の研究者が語る情熱と哲学<前半>左からロバート・デ・ニーロ、もう一人の経営パートナー、メイヤー・テッパー。

 それでも彼はニューヨークからロサンゼルスに来ると必ず僕の店に寄ってくれ、「元気にしているか?」と声をかけてくれた。それから彼は4年間も待って、僕に電話をくれたんです。彼の気持ちは変わっていませんでした。「この人となら、いっしょにやっていける」と思って開いたのが「NOBU ニューヨーク」でした。

 なぜ伊藤忠商事が出雲さんに声をかけたかというと、それは出雲さんだったからだと僕は思います。いいものがあれば売れるのかもしれない。でも、「売れるもの」がみな「いいもの」ではないかもしれない。ものに対して情熱を傾けてつくりあげた人、つまり出雲さんの存在がミドリムシという製品にとっても、伊藤忠という会社にとっても一番「いいこと」だったんですよ。