難解な舞台に
次々に取り組んだ渡邊氏
1987年に渡邊守章氏の演出による舞台を見たことがあります。ジャン・コクトー「地獄の機械」の日本初演で、演劇集団円の主催でした。日本語訳も渡邊氏によるもので、東京・六本木の俳優座劇場で11日間の公演が続きました。
「地獄の機械」はコクトーがギリシャ悲劇の「オイディプス王」を翻案して書いた戯曲で、1934年にパリで初演されています。日本初演はなんと53年後のことでした。日本語訳が難しく、多くのフランス文学者にとって歯が立たなかった作品だったのでしょう。当時の新聞の取材に渡邊氏はこう答えています。
「コクトーは芝居の職人のようなところがあり、寄席の言葉から叙事詩的な力強い言葉まで、この作品でさまざまな文体を駆使している。ラシーヌの悲劇をひと通り上演したので、悲劇のパロディーを上演したくなった。行く行くはクローデル作品をやろうと思っているので、これをやっておく必要がある」(渡邊守章「読売新聞」1987年6月2日付)。
文体がさまざまで、パロディーが含まれるとなると、翻訳は困難をきわめたことでしょう。舞台では、ところどころに挿入される音楽にマーラーの交響曲第3番が使われていたと記憶しています。
マーラーのこの曲もじつにさまざまな種類の音楽を貼り付け、黒いユーモアから晴朗なコラールまで出て来るのでよく覚えています。ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ロンドン交響楽団のレコードでした。渡辺氏がプログラム・ノートに使用レコードまで書いていましたので、はっきり覚えています。ここまで筆者が記憶しているということは、よほど鮮烈に音楽と舞台が密着していたのでしょう。
マーラーは晩年にジークムント・フロイトの精神分析を受けており、「オイディプス・コンプレックス」を指摘されています。コクトーはフロイト的な解釈を排しているそうですが、いずれにせよ演出家は「オイディプス王」、コクトー、マーラーを関連させていたのでしょう。
渡邊氏はこのころまでに、ジャン・ラシーヌの戯曲を連続して演出していました。日本の能のスタイルを取り入れており、フランスでも上演しています。
「行く行くはクローデル」と話していますが、翌88年にポール・クローデルの『真昼に分かつ』を演出しています。たしかパルコ劇場だったと思います。
本書『越境する伝統』にはクローデルを中心に第2章、第3章がまとめられていますが、「なになについての評論」、とひとからげにするにはあまりに多彩な論考で、もちろん話は日本とフランス、古典と現代世界を往復します。演劇から詩、文学から舞踏へと展開していきます。