ここで実践的な経営実務に関する話題から少し離れて、経営者をめぐるマズローの世界に触れてみたいと思います。テーマは、「自己実現から自己超越へ」です。
究極的な成功は、自己超越を意味する
マズローの自己実現は非常に魅力的な概念ですが、自己超越となると一種、神秘的な雰囲気をもち始めます。しかし、いずれも人生にとっては重要なテーマで、若い読者でもいつかは直面せねばならない内容ですから、良い機会だと思ってお付き合いください。
マズローの欲求階層説は必ずしも100%正しいわけではありませんが、その面白いところは、社会生活のステップと内面の欲求とをわかりやすく整理してくれたことです。しかも、人間の動機づけを欠乏動機と成長動機に二分類したことには古典的な価値があると思います。この整理や二分類が本質を突いていて説得力があるものですから、後の産業心理学に決定的な影響を与えました。
私はこれを経営と人生に応用して話を展開しようとしているわけで、やってみるとなかなか示唆深いものがあります。下図は第5回の「『探求者Explorer』という人間類型」で示しましたが、読者のわかりやすさのために再掲します。
自己実現という概念の魅力は、「探求」という言葉が引き出してくれます。以前、述べましたように自己実現は単なる能力発揮ではなく、オリジナリティを伴った能力発揮ですから、そこに個性や独自性が付随することになります。経営で言えばブランドが生じるのです。そのために自己実現が成功要因となるのです。そして、あらゆる人生の営みに、そのオリジナリティを付随させるものが「探求」なのです。
欠乏動機レベルの、例えば自尊欲求レベルの営みでは、この「探求」が伴わないので、せいぜいナンバーワン競争で終わるのです。なぜ、そうなのか? マズローが自己実現という人間の営みにそのような性質を発見したからです。
ここから先は私のオリジナルです。この「探求」は非常に不思議な概念で、人間内部の欲求の現れのようでありながら、人間を超えて導くという機能を持っているのです。
その説明ですが、この自己実現欲求の充足によって成功した人物がいたとしましょう。例えば、経営領域でベンチャー市場に上場した。自己実現が人間の最終的な、あるいは究極のステップなら、そこで失敗するということはまずなかろうと思うのですが、成功者が失敗するのは日常茶飯事の出来事です。なぜ、失敗するのか。
そこに自己実現が人生の最終ステップではないという気づきが生まれます。マズローもそこは気づいていたようで、自己超越欲求を上位の概念として示しています。詳しく知りたい読者は『人間性の最高価値』(誠信書房、1973年)の第7部 超越と存在心理学並びに訳者あとがきをご覧ください。
さて、なぜ失敗するのかですが、自己実現欲求レベルでは、人間の認識のレベルが低いこと――自分を知らない――と人間に不可避の本能的な欲望が付随するからです。成功を求めて必死に努力している時は、まだこの欲望が抑制されているのですが、成功の気の弛みからこれが解放されると、大体失敗します。成功者が成功を原因として失敗するのです。ここには人間の「構造的な問題」があります。
では、失敗したら終わりかというと必ずしもそうではありません。先に述べた「探求」は続くのです。「探求」が人間内部のものだったら、いったん崩壊すれば終わりかも知れませんが、それは人間を超えて存在するものですから、人間の成功失敗に関わりなく、続いて行くのです。そして、「探求」が真摯なものであれば、もう一段高い世界、自己超越の世界が開かれます。
これが人生の面白くも奥深いところで、成功が失敗に「どんでん返し」し、失敗が成功に「どんでん返し」するのです。これが「人間学」の醍醐味ではないでしょうか。
結論です。人間も人生も単純ではありません。成功の裏に失敗があり、失敗の奥に成功があります。表面的な成功や失敗を糧にして、究極の成功を手に入れれば人生は大成功です。人生の究極の成功とは自己超越に達することです。