マネとモネは当時から混同されがちだったみたい
山田 さらに「パリに出て絵を勉強してきたまえ」とすすめられ、19歳で上京。アカデミー・シュイスという画塾に入り、そこでピサロたちと親しくなった。さらにシャルル・グレイルの画塾で、ルノワールやドガやシスレーにも出会う。で、みんなで飲んでるうちに「マネ先輩ってすげえよな」と盛り上がり、マネのアトリエがあったバティニョール街のカフェ・ゲルボワに集まって、バティニョール派と呼ばれるグループを形成し、それが後に印象派になるわけです。ちなみに、マネとモネは当時から混同されがちだったみたい。
こやま やっぱりそうなんですか?
ManetとMonetではaとoしか違わないから。
山田 モネが最初にサロンに入選した時に、間違ってマネとクレジットされちゃった。で、マネ先輩が「これオレのじゃないけど誰の作品?」となって、二人ははじめて出会ったそうです。そこからモネはますますマネ先輩に傾倒し、『草上の昼食』へのオマージュとなる大作を描いたりする。
で、モネの美術史上の功績も、改めて言うまでもないでしょう。まずは筆触分割という技法を確立したことですね。こちらはモネがルノワールと二人でパリ近郊のラ・グルヌイエールという行楽地に出かけて描いた作品ですが、すでに筆触分割が見られます。筆触って、筆の触り、つまりタッチのこと。
こやま タッチを分割する技法ですか。
山田 はい。マネのところでも言いましたが、それまでの西洋絵画はいかにタッチを目立たせずなめらかな陰影に仕上げるかが重要でした。タッチがむき出しの色彩ブロックを連続性なく並べていく筆触分割は、西洋絵画の伝統を真っ向から否定したわけですね。
こやま 筆を滑らせるのではなくて、筆の跡をそのまま置いていくイメージですね。たしかに印象派ってこういう絵ですよね。