本当に頭がいい人の条件
【藤原】ちょっと聞き方が悪いかもしれないけど、「学ぶ」から「考える」に移行できる人のベースには、何があると思いますか? 僕の経験だと、その人が「移行」できる人かどうかって、ちょっと話しただけでわかっちゃう。
【津田】ええ、よくわかります。
【藤原】考えて行動できる人って、ただ単に本をたくさん読んでいて、教養をひけらかすような人じゃない。「学ぶ」時代は頭の回転の速さが、「考える」時代は頭の柔らさが重視されている。
だから、頭の回転が速くて、かつ、柔らかい人のことを「頭のいいやつだ」って言うんですよ。
たとえば、僕がリクルートを辞めて自治体の教育委員会という、わりと公的なセクターの人たちと仕事をして痛感したのは、「学ぶ」ことにかけてはすごく優秀な人が多いんだけど、1つの仕事が与えられたとき、それで終わっちゃうんですよ。たとえばそれに関係あるものや人にさっとつなげて展開していく、といったような頭のよさがないの。
【津田】僕もたとえば医者を選ぶとき、すぐに「この症状は間違いなくこの病気ですね」と断定するような医者はまず除外します。以前、得体の知れない痛みに襲われたときに、病院を5つくらい変わったことがあります。それぞれの病院の医者が全然違う診断をしてきたんですが、最後の医者だけは「これはこうかもしれない」「あるいはこうかもしれない」というように、いくつかの可能性を上げてくれたんですよね。
【藤原】たしかに1つしか診断を下さない医者というのは、CPUが働いていない可能性がありますよね。
【津田】僕も藤原さんの最新刊『本を読む人だけが手にするもの』を読ませていただいて、「まさにその通りだ!」というところばかりだったんですが、この本では藤原さんは、知識の「端子」とか「フック」という言い方をしていますよね。
同じ知識があるにしても、そこから別の知識につながっているような「端子」が必要で、それを増やす手段として「読書」を勧めていらっしゃる。たしかに端子が1つしかないまま、完結してしまっている人が多いと思います。
【藤原】端子を増やすために僕がすごく感じるのは、「遊び」の大切さなんです。教育関係の講演会でも「“考える”ためのベースをつくるには、10歳ぐらいまで徹底的に遊ばないとダメだ」といつも言うんだけど。
「学ぶ」って予定調和の世界じゃないですか。Aが出てきたらB、Bが出てきたらC、みたいなね。
一方、「考える」の世界では、次に何が出てくるかわからない中で対処しなきゃならない。
『本を読む人だけが手にするもの』(藤原和博[著]、日本実業出版社、本体1,400円+税)
たとえば5歳のお兄ちゃんが、お母さんを驚かせようと思って、積み木で「東京スカイツリー」をつくっているとするじゃないですか。すると2歳の弟が怪獣と化してそのタワーを壊す。それで「この野郎!」ってなるじゃないですか。
そのとき、お兄ちゃんは初めて考えるわけですよ。弟をトイレに閉じ込めてもう1回つくり直すのか、それとも弟を少し手なづけて一緒に協力させてもっと大きなものにするか……。
【津田】怪獣を懐柔して(笑)。
【藤原】(笑)そう、懐柔して一緒にやるか除け者にするか。それは別にどっちがいいとかいう道徳的な話じゃなくて、遊びの中って無限にそういう想定外の要素があるわけです。予定調和でない要素が出てくるので、それにどう対処できるか。そこで、僕が言う「情報編集力」なり、津田さんが言う「思考力」なりが問われる。
【津田】そのとおりだと思いますね。