日本でどんな高校に行っていても、「編入」という方法で、東大や京大よりランキングが上の海外のトップ大学に行ける!という方法を紹介した『東大・京大卒に勝てる!世界のトップ大学に編入する方法』も好調な山内勇樹さん。
山内さんご本人も偏差値39からUCLAへ留学したが、ほかにも短大からの編入ルートで留学した3名に集まってもらい、座談会を開催した。人生が変わる経験をした3名の留学体験とは?
(取材・文 児玉真悠子、撮影 宇佐見利明)

高校中退後、モデルを経て大検取得。
脳医学を学ぶためにUCLAへ

山内 拙著、『東大・京大卒に勝てる!世界のトップ大学に編入する方法』では、アメリカの短大を経由してトップ大学へ入るという編入ノウハウを紹介しました。今回は、実際に留学された3名の方にいろいろ聞いてみようと思います。

UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)の青砥瑞人さん、ニューヨーク市立大学卒の梅田琢也さん、コロンビア大学院卒、今回、紅一点の松山恵美さん。本日はよろしくお願いいたします。

青砥瑞人(あおと・みずと)
株式会社DAncing Einstein 代表
日本の高校を中退後、モデルを経て留学、米国のUCLAカリフォルニア大学ロサンゼルス校)にて神経科学部(neuroscience)を飛び級卒業。帰国後、ドーパミン(DA)が溢れてワクワクが止まらない新しい教育を創造すべく「DAncing Einstein」社を設立。脳x教育xITの掛け合わせで、世界初のNeuroEdTechという分野を研究し、幾つも特許対象のアイデアをもつ。最新の論文から導き出された脳の働きを理解したうえで効果的な教育方法などを研究開発、企業はもちろん学生や教師も巻き込み、今、教育界で注目されている若手起業家。

青砥、梅田、松山 よろしくお願いいたします。

山内 では、まずUCLAをご卒業された青砥瑞人さん。どういうきっかけで、留学をしたのでしょうか?

青砥 僕は高校中退しているんです。小学校からずっと野球をやっていたんですが、高校に入ってケガをしまして。ピッチャーをやっていたのに、肩が痛くて投げられなくなったんです。ずっとやってきた野球ができなくなって、かなりショックを受けたのと、全く学校で勉強する気がなく、親に「高校辞めます」と(笑)

梅田、松山 え~、それで辞めたんですか?

青砥 はい。今、思えば、よく親も許してくれましたよね。芸術系の仕事をしていて、普通のサラリーマンではなかったのが大きいかもしれませんが。こんな判断を受け入れてくれて親には本当に感謝しています。

山内 それでモデルを目指した?

青砥 いや、それは偶然なんです。学校をやめてヒマじゃないですか。原宿とかブラブラしていたら、道で「モデルをやらないか」とスカウトされて。向こうも平日の昼間に動ける僕の立場は仕事を依頼しやすかったようです。

梅田琢也(うめだ・たくや)
株式会社スペイシー CFO
両親の転勤などで幼少期にマレーシア、シンガポールに住む。その後、法政大学に入るが中退、留学し、ニューヨーク市立大学バルーク校にて金融などを学ぶ。ニューヨークにて投資銀行に勤務後、金融危機で帰国。国内事業会社の財務部門を経て、(株)スペイシーにCFO(財務・経営企画担当)として参画。今、注目のシェアリングエコノミ―、主に首都圏で空きスペースを活用した会議室運営の情報提供、決済などを行うサイトを運営、業界に革新的な視点を持ち込んでいる。柔術青帯。

モデルの仕事はそれなりにいい収入になって、大手電機メーカーの広告に起用されたこともありました。でもつまんない。ずっと続けたいと思えるほど、楽しくなかったんです。それでも4年くらい、そんな生活をしていて、高校の同級生が大学で就活をしているのを見て、自分も何がやりたいのか考えなきゃいけないと。

山内 それでいきなり海外に留学ってすごい展開ですね。なぜUCLAだったんですか?

青砥 自分がスポーツをやっていたこともあって、運動と脳の関係性を勉強したいと思ったんです。スポーツでのパフォーマンスを高めるためには、メンタル面がどう影響するか、といったことに興味があり、調べていくと「スポーツと脳」を勉強できる場所が日本にはない。

海外だとありそうだなと思って、試しにネットで、「sports brain」と検索してみたら、UCLAが出てきた。でもUCLAがどんなところかもわからない(笑)。それで次はUCLAって何だ?とまた調べて……。

UCLAが大学ってことも知らなかったうえに、英語も苦手だったのですが、調べていくと、高校中退でも卒業資格があれば、アメリカの短大経由でUCLAに編入できることが分かり、「もうこれしかない」と思ったんです