それから数日間、カルロスは気が向いたときには瞑想スペースに来てくれた。遊び半分であるにしても、私は彼が参加してくれることが本当にうれしかった。

そしてさらに数日後、驚いたことに、今度はトモミが顔を見せてくれた。聞いたところによれば、彼女はかなり以前からヨガを趣味でやっているのだという。

「なんていうか、東洋人としてこういう世界には親近感を抱くのよね」

ほかのスタッフの手前もあって、彼女とはなるべく英語で会話するようにしていたが、このときはトモミも珍しく日本語で話しかけてきた。以前から参加したかったが、おとなしくて消極的な性格の彼女は、なかなか言い出せなかったらしい。

私は言葉に詰まりながら、「ええ……まあね」とだけ答えた。

「(本当はヨガも坐禅も大嫌いなのよ……!)」

心の底では「東洋的なもの」に不信感・抵抗感を持っていることは口が裂けても言えなかった。

*     *     *

「そうじゃな、たしかにマインドフルネスの起源は東洋にある」

私の報告を聞いたヨーダは静かに頷いた。「その意味では、君たち日本人はマインドフルネスの本家だと言ってもいい。森田療法じゃとか内観療法なども、考え方としてはこれにかなり近いからな」

森田療法と内観療法は、どちらも心身症などの治療法として日本で生まれたものだ。1919年に森田正馬によって創始された森田療法は、一定の作業などに没頭させることで、考えにとらわれない「あるがまま」の状態をつくることを目指している。

1960年代から導入された内観療法は吉本伊信にルーツがあり、こちらも自分の内面を客観的に見つめる方法をとる。エビデンスに乏しい「時代遅れの治療法」というイメージが強かったが、たしかにマインドフルネスに通じるところは多そうだ。

でも、それって、どうなんだろう。やっぱりマインドフルネスが科学的根拠の薄いものだってことだろうか。私は急に心配になってきた。

「先生、そんなことよりも……次はどうしましょうか?そろそろバシッと効きそうなのをお願いします!」

「ふむ、『効きそうなの』ねえ……。ところで、ナツ」

また話題をそらすつもりだ。モジャモジャ頭をボリボリとかきながら、ヨーダが言った。「夜は眠れておるか?」

クスリで「脳の疲れ」は癒せない

彼ほどの観察眼がなくても、私の睡眠に問題があると見抜くのは、さして難しくはなかったはずだ。毎朝、鏡に向かうと、目の下にくっきりとしたクマをこさえたひどい顔がそこには映っていた。

私は日中の〈モーメント〉での仕事に加えて、夜は遅くまで経営の勉強をする毎日を送っていた。また、いつか研究生活に戻ることも考えて、朝早く起きては最新の研究論文をチェックするようにもなっていた。

つねに頭がフル回転の状態で、ベッドに入ってからもなかなか寝つけない。気づくと夜中に目が覚めて、お店のことを考えていることもあった。〈モーメント〉の瞑想スペースにいるときだけが、私の唯一の休息時間だったと言ってもいい。

「眠ろうと努力はしているんですけど、頭が休もうとしてくれなくって……。そうだ!先生、何か睡眠剤を処方していただけませんか?」

ほかの精神医学研究者たちと同様、ヨーダが精神科医の仕事もしているのを私は知っていた。以前、彼の研究室に患者さんが訪ねてくるのを見かけたことがあるのだ。アメリカの大学では、大学の研究室で患者を診察する研究者も少なくない。ヨーダなら、何か適当な薬を処方することもできるはずである。

「やれやれ、これだけはナツに言っておかねばならん。いいか、日本ではいまだに抗うつ剤とか睡眠剤がかなり安易に処方される傾向にあるようじゃな。かつてはアメリカもそうじゃったが、いまでは精神医療の現場で薬を使うことは減りつつある。副作用や依存性の問題もあるし、患者さんたちもより自然なアプローチを望むようになってきとるからな。

たとえば、日本でうつ病の患者さんに処方されているアルプラゾラムなどは、アメリカではまず使わんぞ。アメリカでは、うつ病への効果はないとされとるし、依存性も高いからな。処方するとすればSSRIなどが一般的じゃし、カウンセリングや磁気治療、そして我らがマインドフルネスなどを組み合わせた治療がいまの主流じゃ。いつぞや言った物好きな日本人の弟子に聞いた話じゃが、不眠の患者さんにTMS磁気治療を施したところ、ほとんどの例で改善が見られたらしい[*1]。いずれにせよ、クスリ一辺倒の精神医療というのは、もはや過去のものなんじゃよ。

*1 当院プレリミナリーデータによる。ある特定の期間に受診した患者8例にTMS磁気治療を施したところ、全例で睡眠の改善が見られた。

睡眠剤にしても、依存性のない、睡眠のメカニズムに即したものが使われとる。メラトニン受容体に作用するラメルテオンやオレキシン受容体に作用するスボレキサントなどじゃ。ハルシオンやレンドルミンといった従来の睡眠剤と比べると、これらは薬物依存の危険もなく、より害が少ないんじゃ」

アメリカで薬物治療を避ける動きが広がっていることは、もちろん私も知っていた。しかし、睡眠剤ですらそのような考え方の対象になっているとは……。マインドフルネスがアメリカで受け入れられた背景には、薬物に対する心理的抵抗の広がりも関係しているようだ。