「尊敬できる人」が1人いるだけで変わる

 悲田は当然だが、恩田や敬田があることで、そのときの人間関係から得られる幸福感は間違いなく変わってくる。

 たとえば高校生のころ、こんな経験をした人がいる。

 ほとんど受験勉強にあけくれ、学校の先生たちに特別な印象はなく、ただ受験技術を教えるだけで親しみも感じなかった。あまり仲のいい友達もできず、クラブ活動に打ち込むこともなく、つまらない日常を送っていたという。

 この人にとって高校生活は、ふつうなら「幸せでなかった時代」であり、あまり思い出したくもない学生時代になるだろう。

 でも、たった1人、塾の先生が非常に熱心で、「受験勉強も大事だけど、自分のやりたいことを本気で見つけることはもっと大事なんだぞ」と真摯に諭してくれた。

 つまり「恩田」になる人が1人いたということだ。その1人がいただけで、高校生活の思い出に暖かい陽光が差し込んだような「幸福なもの」になると、彼は語ってくれた。

 おそらく高校生活を振り返るたびに、その先生の顔が思い浮かび、「頑張らなきゃな」なんて気合いを入れることになっているのだろう。

 毎日、通っている職場。イヤな上司もいれば、仲の悪い同僚もいる。

 それでは「不幸な人間関係」ということになるが、尊敬できる人(=敬田)も何人かいるなら、会社に行くことが楽しみになる。

 別に「悲田」のような特別な人間関係ばかりが、まわりに溢れていなくていいのだ。「恩田」や「敬田」に当たる人に出会っていくことで、私たちは幸福感を感じられる。

 それだけで人間関係における「流れ」は、大きく変わっていくのである。