小林信也
箱根駅伝は東海大学が初優勝。青山学院の総合5連覇は成らなかった。青学の原監督の発言の軽さに眉をひそめる人もいる。負けた今、ここぞとばかり原監督を批判する人もいるが、そんな人や批判こそ笑止千万、本末転倒と理解すべきだろう。

貴乃花親方が角界を去り、貴ノ岩も暴力事件によって引退した。面倒くさい存在だった2人が去ったが、本当の問題や危機は解消したのか? いや、ブラックぶりが放置され、若者たちが見向きもしない相撲業界の未来は、おおかた想像がつく。

摂食障害は、ここ数年、女子スポーツ選手の間でようやく問題視され、対策が始まっているが、まだ十分ではない。体重が増えると競技力に影響が出ると信じられている競技では、「太ったら負ける」という思い込みや強迫観念が常識になっている。

第1回
京都の祇園、東京の新橋とともに並び称されてきた「芸妓」の街がある。それが、新潟県新潟市の中心部の「古町」だ。未だ芸妓文化には高尚で特別というイメージがある中で、現在、芸妓としてお座敷に立つのはどんな女性たちなのだろうか。

第7回
カメラがなぜカツラーの天敵かといえば、写真に撮られると普段以上に「あ、カツラだ」とわかりやすくなる。光の反射と吸収の具合か、自然なふんわり感がない。絵具で塗りつぶしたような一様さというか、妙なのだ。

第6回
カツラーになって、大好きな春が「敵」になってしまった。春はなんと、風の強い日が多いことか。少しでも風に揺れていれば気が重くなる。言うまでもなく、カツラの乱れが気になるからだ。

第5回
私がカツラ・メーカーを選ぶとき、基準にしたのは「有名かどうか」だった。他の商品を選ぶときもブランド力に惹かれる場合はもちろんあるが、仮に無名メーカーの製品でも、自分がデザインや機能性を気に入ったらむしろ喜んで買うほうだ。ところが、カツラの場合は「有名であること」が絶対的ともいえるほど、大きな決め手になった。テレビのコマーシャルは、カツラーを惑わせる「いたずらな悪女」のような存在だ。一時、ある増毛法のCMが一世を風靡したことがあった。そのCMは日本じゅうに衝撃を与えた。

第4回
誰かを好きになったとき、気持ちをどう伝えるかは永遠のテーマ。カツラーの場合はさらにもうひとつ、もっと大変な難関が待っている。「オレさ、実はカツラなんだよ」

第3回
初対面で名刺を交換する。「小林信也です。よろしく……」頭を下げてから相手の顔を見ると、なぜか相手の顔が上(私の髪のほう)に向いている。胸がズキッとする。(ばれたか……、カツラとバレたのか?)(乱れているのか、カツラがはねて、わかっちゃっているのか?)話す間にも相手の視線がしばしば上に向くなんて経験を、私はいったい何度重ねたことだろう。そのたび、不安に胸が締めつけられ、自己嫌悪にさいなまれる。(こんなみっともない思いまでして、なんでカツラをかぶっているんだ)

第2回
カツラを初めて買うとき、私はカツラについてほとんど何も知らなかった……。(バレるのか、わからないのか)ばっかり考えて、装着感や身体に与える影響、生活する上での不自由にまったく思考が及ばなかった。

第1回
私はカツラーです。カツラをかぶって生きています。いまは快適なカツラー・ライフ。だから明るく「カツラだよ」と言いふらしていますが、以前は苦痛の日々でした。東京の冬は、ちょっと寒いけど毎日青空でうれしい。雪国生まれなので、1月、2月に土が見える生活なんて夢のよう。でも乾燥しすぎるのは、カツラーの大敵。ほんとに悲惨なカツラ人生。でも、カツラってこういうものなんだろうと思い込み(思い込まされ)、丸12年間もその呪縛から逃れることができませんでした。
