次に鐘をつくのだが、ここに性格が出るとのこと。ほどよい強さでつかないと、鐘はちゃんと響かない。撮影していた岩城氏によれば、私のつき方は強すぎるらしい。少し鐘の音が割れ気味だった。

お遍路を回りながら、<br />自分自身の至らなさに気づくいい音を出そうとして力んでしまうと、かえって響かない

 振り返れば、このプロジェクトでも、私は力が入るあまり、少々強く「つきすぎている」のかもしれない。相手に応じた程よい加減があることを肝に銘じようと思った。お遍路最初の悟りだった。

偏った見方をしていたのは、私のほう?

 いよいよご本尊にお参りする。お札に願い事を書き、線香とロウソクを立て、お賽銭を入れて祈願する。般若心経など、いくつかお経を上げる。最も大事な教えは「一切空」(いっさいくう)――すべては空っぽであり、物事のとらえ方は、その人の心の状態を反映している――というものだ。

 私はこれまで、菓子事業者たちのやる気のなさに憤っていたが、実は、彼らなりに頑張っていたのかもしれない。偏った見方をしていたのは私のほうで、だからこそ反発を食らったのかもしれない。お経を唱えながら、目から鱗が落ちるような思いだった。そして、静かな気持ちで祈りを捧げた。

お遍路を回りながら、<br />自分自身の至らなさに気づく一連の所作をとるうちに、頑なな考えや思い込みから解き放たれていく

 ご本尊にお参りした後は、弘法大師を祀った大師堂で同じことを繰り返し、納経所で宝印をもらう。山門をくぐってから宝印をもらうまで、ゆうに30分は超える。これを88箇所で繰り返すのである。

 以降、毎月1、2回のペースでお遍路を続けた。午前中に三カ寺を歩き、午後に五カ寺を車で巡る。夏の盛りには、日差しと暑さでへとへとになる。自分で言い出したものの、相当しんどかった。