(2009年2月、上海)

 宵闇を引き裂いて、爆竹のけたたましい騒音が街中のあちらこちらから聞こえてくる。

 今日は旧暦の1月15日。春節を迎えてから最初の満月の夜は『元宵節』と呼ばれ、一家団欒を象徴する日だ。家族が揃って食卓を囲み、一同の健康と幸福を確かめ合う、中国人にとっては大切な伝統行事である。

 自分の雇い主である女主人も、杭州の両親の元へ戻るからと、今日からの2日間、店を休みにしていた。陰気な生活の中で唯一の救いであった仕事という時間潰しを失った男は、仕方なく場末の水餃子屋に居座り、野菜餃子を肴に、縁の欠けたコップに満たした『二鍋頭』を煽っていた。

 56度という高粱が原料の白酒は、喉を蹴って胃に収まると同時に、鼻腔へも強烈な香りを噴出させる。黒く弛んだ皮膚は、肝臓が健全な状態でないことを示していた。

 すでに1時間以上飲み続けている寡黙な客に、店主の中年女性は険しい目を向けている。それは、飲み過ぎだと客を気遣う視線ではなく、2本目の酒瓶の勘定まで払えるのかという危惧の目だった。男は赤く澱んだ目を伏せて、再びコップに手を伸ばした。

 上海の郊外にある松江区は、一昔前は農民ばかりの片田舎に過ぎなかった。中国の経済躍進と上海の発展は、そんな田舎の光景まで大きく変貌させて、今では工業団地が連なる産業の町となっている。

 その気になれば、いつでも訪ねることができる故郷だが、両親が亡くなってからは、自然と足が遠のいていた。なにせ、自分が生まれ育った農村の家屋はすでに人手に渡っており、妹は贅沢なマンションに居を移していた。マンションのみならず、上海ワーゲン・サンタナの新型車まで購入した妹は、自分でハンドルを握って忙しく動き回っているという。

 高校を出てから繊維会社で働いていた妹は、どこにそんな商才を潜めていたのか、4年前に同僚たちと縫製工場を設立し、日本をはじめ欧米にまで取引き先を広げ、実業家としての日々を送っているらしい。自分の夫も経理担当の社員に据えて尻に敷き、高慢に振舞っている妹を見るたびに、男は鳩尾の辺りに鈍痛を感じていた。

 そんな母親の視線を敏感に察しているのだろう。幼い甥っ子も、自分にはなつかなかった。あいつが高校まで出ることができたのは、自分が安い給料の中から仕送りを続けてやったからだ。それなのに、武装警察隊を辞め、飲み屋の警備員と成り下がった自分を蔑むように、妹は自分を避け続けていた。

 春節には松江へ戻ると言ったときも、「私たちは家族で海南島へ旅行に行くから、いないわよ」と、素っ気なく断られた。