わが国の教育については、まさに百家争鳴という言葉がピッタリするのではないか。「ゆとり教育の弊害」を声高に叫ぶ人もいれば、「教育の格差」に焦点を当てる人もいる。初等教育、中等教育、高等教育のすべてがそれぞれ深刻な問題を抱えているが、どこから手をつければいいのか戸惑う向きも多い。今回は、教育問題について考えてみたい。
教育の目的は時代によって変化する
教育の本質は、人間が自立する手段、もしくは技術を与えることにある。
一般に、高等教育を受けた人は所得が高く(日本の大学修了者は高校修了者より68%所得が高い)、失業率も低い(OECD平均で高等教育修了者の常勤雇用率は10%高い。以下同じ)。また、人生に対する満足感(17.6%満足度が高い)や社会への参画意識(13.2%選挙投票率が高く、9.2%ボランティア参加率が高い)が高く、自ら健康であるとの認識を持っている(出所:図表でみる教育 OECD インディケータ(2011年版))。
このように、教育のもたらす一般的な経済的効果や社会的効果は、ある程度数字で裏づけがなされている。
ところで同時に、教育の目的が時代によって変化していくこともまた真実であろう。たとえば20世紀後半の半世紀、わが国が敗戦による焦土から奇跡の経済復興を遂げる過程では「アメリカに追いつき追い越せ」という明確な国家目標があり、市民はチームワークを維持しつつ、ひたすら勤勉に働き続ける資質が何よりも要請された。
しかし、21世紀のわが国は、急激な少子高齢化や財政の悪化など、人類がこれまで経験したことのない、いわば未踏の領域に足を踏み入れつつある「課題先進国」となってしまった。もはや参照すべきモデルは世界のどこの国にも見当たらない。自らの頭で解決策を考え出していくしか他に方法はない。このような状況下では、何よりもゼロベースで考える能力が、教育には要請されているのではないだろうか。