「新しい古典」というコピーの秘密
──『嫌われる勇気』初版の帯にある「新しい古典の誕生」という言葉はとても印象的です。この言葉には、どのような意味が込められているのでしょうか?
古賀 『漫画 君たちはどう生きるか』も同じだと思いますが、僕たちはあくまで副読本や入門書ではなく、「決定版」をつくろうと考えていました。ただ入門書を書いて、そこから専門書に進んでもらうかたちにはしたくなかったんです。
岸見 はじめから、「ただアドラーの言葉や学説を紹介するのではなく、その言葉が表す真理を伝えたい」と話していましたね。アドラーの教えは、本質的であり理想でもある。理想は古びないから、長く読み継がれる「新しい古典」にしよう、と。
柿内 「新しい古典」、これは一見すると変な表現に感じるかもしれません。でも、どんな古典も発売当時は新刊だったんですよ。『君たちはどう生きるか』だって、いまから80年前の1937年の新刊だったわけです。100年後の人にとって、2013年12月13日は『嫌われる勇気』という古典が発売された日になる──。このビジョンは岸見先生と古賀さん、そして僕で共有していましたよね。
古賀 そうだね。ただ、書くときは100年後まではイメージできないから(笑)、10年後にも読まれる本をイメージしていました。いまの社会をあらわす要素や流行りはできるだけ取り除いて、10年後でも通用する舞台設定を意識したんです。
たとえば、青年が「ツイッターでこんなリプライをもらった」とか「誰も『いいね!』をつけてくれない」と嘆けば、いまの読者に共感は得られやすいでしょう。でも、はたして10年後にツイッターがあるのかと言えば、それは誰にもわからない。
──たしかに「ツイッター、懐かしい(笑)」となると、一気に古くさく感じてしまいますね。
古賀 そうなんですよ。ましてや100年後には「ツイッター」に脚注が必要になってしまう。あと、この本は世界で売っていきたいと思っていたので、時代や国籍を限定させるような固有名詞は使わないよう気をつけました。たとえば哲人の机の上にうちわが置いてあったら、それだけで「昭和の日本っぽく」なってしまうでしょう? どの時代、どの国でも通用する抽象度の高い舞台設定を意識したことが、「新しい古典」を目指すうえで大切だったんです。