自分という存在は、「大河の一滴」にすぎない
そして、この「形」というものは代々引き継がれていくものです。
ブリヂストンCEOのときに、ささやかなことではありますが、しみじみと喜びを感じたことがあります。
かつて勤務したタイ・ブリヂストンのことが話題になったときのことです。ひょんなことから、現地で採用されている勤怠管理システムを見せてもらったのですが、驚くべきことに、私が入社2年目のときにつくったシステムが「ひな形」になっていたのです。もちろん、電子化されていましたし、入力項目もさらにブラッシュアップされていましたが、その原型は、何十年も前に私がつくったものだった。これは、素直に嬉しいと感じたものです。
同時に、改めてこう思いました。
自分という存在は「大河の一滴」にすぎない。石橋正二郎がブリヂストンを創業して以来、数多くの先人たちが営々とつくり上げてきた「形」のうえに乗っかって仕事をさせていただいてきたのだ、と。
私が入社2年目でつくった勤怠管理システムのようなミニマムな「形」から、家入さんが決断したファイアストン買収によって生まれた巨大な経営の「形」まで、「あるべき姿」をめざして無数の改善・改革が積み重ねられて、現在のブリヂストンという会社の「形」が出来上がっているのです。私なりに、よりよい「形」をつくり上げるために努力してきたつもりですが、「大河の流れ」を考えれば、それは取るに足らないもの。社長であろうが平社員であろうが、「大河の一滴」にすぎません。その謙虚な気持ちを忘れてはならないと思うのです。
大事なのは、先人が築いてくれた「形」に対する感謝の気持ちをもつことと、その「形」をよりよいものへと育て上げて次世代に引き継ぐことです。
間違っても、先人が築いてくれた「形」に乗っかって、そこで取れる果実を全部刈り取って、次世代に引き継いだときには“荒れ野”になっていた、などということをしてはならない。ましてや、社長在任中の業績を“自分の手柄”として喧伝するなどもってのほか。在職中の業績に対する全責任を背負う必要はありますが、それは当然のこととして、それ以上に次世代に「美田」、すなわち「『成長体質』と『増益体質』を併せ持つエコシステムの事業体」を残すことに注力すべきです。それが、「大河の一滴」として果たすべき役割だと思うのです。