「リーダーの評価」は、その座を去ってから定まる
世界最大のタイヤメーカー株式会社ブリヂストン元CEO。1944年山形県生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、ブリヂストンタイヤ(のちにブリヂストン)入社。タイ、中近東、中国、ヨーロッパなどでキャリアを積むほか、アメリカの国民的企業ファイアストン買収時には、社長秘書として実務を取り仕切るなど、海外事業に多大な貢献をする。タイ現地法人CEOとしては、国内トップシェアを確立するとともに東南アジアにおける一大拠点に仕立て上げたほか、ヨーロッパ現地法人CEOとしては、就任時に非常に厳しい経営状況にあった欧州事業の立て直しを成功させる。その後、本社副社長などを経て、同社がフランスのミシュランを抜いて世界トップシェア企業の地位を奪還した翌年、2006年に本社CEOに就任。「名実ともに世界ナンバーワン企業としての基盤を築く」を旗印に、世界約14万人の従業員を率いる。2008年のリーマンショックなどの危機をくぐりぬけながら、創業以来最大規模の組織改革を敢行したほか、独自のグローバル・マネジメント・システムも導入。また、世界中の工場の統廃合・新設を急ピッチで進めるとともに、基礎研究に多大な投資をすることで長期的な企業戦略も明確化するなど、一部メディアから「超強気の経営」と称せられるアグレッシブな経営を展開。その結果、ROA6%という当初目標を達成する。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。キリンホールディングス株式会社社外取締役などを歴任。
そして、リーマンショックが起きたときには「赤字転落」をしてでも、工場の統廃合・新設を進めて、「形」を整えることを優先しました(連載第25回)。上場以来、一度も「赤字転落」をしたことのなかったブリヂストンで、もしも「赤字」に転落すれば、社長として“汚名”をかぶることにはなります。しかし、格好をつけるようで気恥ずかしいですが、そんなことよりも、将来に「美田」を残すことこそが自分の役割だと割り切ったわけです。
もちろん、私が本当に「美田」を残すことができたかどうか、それは後世が評価することです。私としては、ありとあらゆることを考えて最善の手を打ってきたつもりですが、もしかすると、「荒川はを残した」と評されるかもしれない。なにしろ小心者ですから、そんな不安がないと言えばウソになります。
しかし、これだけは言えると思っています。在任中の業績が、リーダーの真価とは限らないのだ、と。だから、在任中に刈り取れるだけの「数字」を刈り取るようなことだけはしてはいけない。その結果、必ず次世代は“荒れ野”で苦労を強いられるからです。
周囲は“目先の数字”を評価して、現職リーダーを賞賛するかもしれませんが、それに惑わされてはなりません。リーダーたるもの、「大河の一滴」に徹し、次世代に「美田」を残すために、すべてを捧げるべきです。リーダーの評価は、その座を去ってから定まるのです。