堀江貴文氏と著者であるチャン・キム教授(INSEAD)に任じられ『ブルー・オーシャン・シフト』の日本企業ケースを執筆したムーギー・キム氏の対談中編。前編では、ゼロ高等学院の設立の意図や、堀江氏自身の生き方の戦略について話を聞いた。中編では、堀江氏がモビリティや出版といった業界を取り上げながら、それらの業界にどのような変化が起こるのか、その将来像について語る。(写真:小島健志、構成:肱岡彩)
スマートフォンが爆発的に普及したのは、“電話”というポジショニングに成功したから
1972年、福岡県八女市生まれ。実業家。 SNS media &consulting株式会社ファウンダー。東京大学在学中に有限会社オン・ザ・エッヂを設立、起業家としてビジネスをはじめる。現在は宇宙ロケット開発や、スマホアプリ「TERIYAKI」「755」「マンガ新聞」のプロデュースを手がけるなど幅広く活動を展開。また、TV、ラジオ、インターネット番組にも出演、活躍中。 有料メールマガジン「堀江貴文のブログでは言えない話」は1万数千人の読者を持ち、2014年には会員制のオンラインサロン「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」をスタート。著書に、『ゼロ』(ダイヤモンド社)、『多動力』(幻冬舎)、『好きなことだけで生きていく。』(ポプラ社)、『10年後の仕事図鑑』(落合陽一氏との共著、SBクリエイティブ)などがある。
堀江:常に自分で思考する例として、モビリティの未来について話したいんですけど。例えば、モビリティの未来を考えた時に、その主役になっているのは、僕の中では、テスラじゃないんですよ。
ムーギー:どういうイメージなんですか。
堀江:モビリティの未来で中心を担うのは、今の自動車を自動運転車にそのまましたものではなく、パーソナルモビリティ自動運転車なんです。今、パーソナルモビリティって言っていますけど、多分違う名前になると思います。
iPhone以前も同じような状況があって、PDAっていう携帯情報端末があったじゃないですか。ザウルスとかクリエとかパームとか…。
ムーギー:あー、ありましたね。
堀江:それらを指す名称としてPDAが使われていた。けれど、PDAの時代はキャズム(アーリーアダプターからアーリーマジョリティーの間にある、大きな溝のこと)をこえられなかった。けれど、iPhoneというものが出てきて、あっ、こういうことだったんだと。これが正解だったのかと。これが求めていたものだったんだと、みんなが納得した。
ムーギー:なるほど。
堀江:iPhoneは、「電話」っていう名前を付けたことが正解だったんですよ。
ムーギー:どういうことですか。
堀江:つまり、「電話だよ、これは」って見せ方をした。でも、中身は実はパソコンじゃないですか。
ムーギー:そうですよね。
堀江:でも、初めから、「パソコンだよ」と言われると…
ムーギー:いらないかなぁとなっちゃう。
堀江:「ちょっとそこまでの機能はいらいないかな」「使えないかな」ってなったと思う。
ムーギー:ポジショニングを「電話」にしたから売れたと。
堀江:そう。多機能電話に見せたんですよね。「あっ、なんかスマートな電話だったら使ってもいいかな」みたいな感じで、結構素直に受け入れられて。もちろんアーリーアダプターの人たちは、iPhoneが単なる電話じゃないことくらい分かって、「すげぇ」ってなる。けれど、それ以外の人たちにも浸透していったのは、やっぱり電話って名前を付けたのが大きかったんですよね。
ムーギー:なるほど。
堀江:製品の見せ方が、非常に上手い。