日本軍にもあった「感情移入の絶対化」問題

 山本氏は書籍『日本はなぜ敗れるのか』で、自らの思い込みをなぜか変えない日本軍の姿を描いています。太平洋戦争で各地に進出した日本軍はどう考えていたのでしょうか。

 緒戦当時の日本軍の行き方は、一種異様といえる点があり、「自分は東亜解放の盟主だから、相手は双手をあげて自分を歓迎してくれて、あらゆる便宜をはかり、全面的に協力してくれるにきまっている」と思い込んでいる一面があった(*5)。

 しかし現実は、フィリピンで反米だった民族が日本軍の進出で反日に変わり、抗日ゲリラとして山岳地帯で増殖を続け、日本軍が大打撃を受ける最大要因になりました。しかし日本軍は、自分たちが解放者で歓迎されるはずと思い込み続けたのです。

 では、現地に、何かそう思い込ます要素があったのであろうか。奇妙なことにそれが皆無であった(*6)。

 日本軍と日本人は、アジア進出時に解放者として相手が迎えてくれるようなこと、どんな条件が実現されたら、その命題が通用するかを考えず、ただ押し付けたのです。自分たちの思い込みを疑おうとせず、現実を正しく把握して条件を整えようとはしませんでした。

 山本氏の『一下級将校の見た帝国陸軍』では、軍票を乱発して物資を現地人から徴発し、それを現金に換えないなど、現地人から憎まれる当たり前の理由を自ら生み出していたことを述べています。

 山本氏は「フィリピンの国民に、何を必要としているか聞くべきだった(*7)」と指摘しています。感情移入の絶対化で、日本軍は現実の反証を受け止めることができなかったのです。

日本人の精神性と、やりがい搾取の関係

 自分が正しいと思うことを相手に投影し、相手にとっても正しいと盲信する。自分と相手の区別がつかない親切は、おせっかいや押し付けにもなります。

 これは、日本人が相手に「やりがい」や「やる気」を求めがちなこととも関係しています。「やりがい」が大切だとするのは、自分の心の状態が、すなわち仕事の充実度そのものだと考えるからでしょう。

 一方で、悪用されると「やりがい搾取」のように、やりがいがあるからと、不当に安い賃金を払うようなことになるのです。

 日本人は、心の中の状態と、自分の外にある現実を切り離す感覚が希薄なのです。

 結果として、日本の職場では成果よりも「やる気を見せる」ことが重視されてしまいます。やる気が見えない者は、成果を出していても非難の対象になってしまうのです。

 感情移入の絶対化、日常化とは、私たちの感情や心の中が、外部の現実に何らかの影響を与えている感覚です。日本人は、精神と外部の現実がつながっていると考えて、自分が正しいと感じることが、相手にとっても正しいと思いがちなのです。

(注)
*6 山本七平『日本はなぜ敗れるのか』(角川oneテーマ21)P.125
*7 『日本はなぜ敗れるのか』P.127