マスメディアは偶像を生み出す装置である

 17世紀に欧州から始まった新聞を起源とするマスメディアは、偶像を生み出す新たな装置として機能し、明治になって日本に新聞が登場する頃には、メディアによる偶像創造の技術はさらに洗練されていたのではないでしょうか。

 明治以前の日本人は、偶像をつくる新たなメディアに免疫がなく、明治以降はその大衆扇動力に操られてきたのかもしれません。もともと、古代からの偶像は、人間の祈りや救済を求める心が、感情移入により像に乗り移ることで成立してきました。

 ところが最新メディアと映像などの技術は、対象と善悪の感情を為政者の都合のいい形で結び付けて、人々の思考を拘束することに利用されてきたのです。

「新しい偶像」による支配

西欧世界は数千年かけて空気を克服してきた

 前提というのは、精神的な要素に限るなら、人の心にあるものです。しかし、それを特定の外部の対象に投影させると、自分の心の中の拘束が、あたかも外に出て現実の物理的な拘束力となる錯覚が生まれるのです。

 “KU-KI”とは、プネウマ、ルーア、またはアニマに相当するものといえば、ほぼ理解されるのではないかと思う。これらの言葉は古代の文献には至る所に顔を出す。もちろん旧新約聖書にも出て来ており、意味はほぼ同じ(*9)

 西欧では、空気を意味する言葉の記述が古代から始まり、恐らくこの影響について多くの議論や研究が数千年かけてされてきたと推測できます。

 一方の日本は、島国という閉ざされた環境、比較的恵まれた地理的な条件により、空気の影響力があっても過去は民族の存亡の危機などには至らなかったのです。

 しかし明治の文明開化と同時に、西欧の「先進的な空気の醸成技術」が誰かによって輸入された、もしくは西欧自体が日本に使用したことで、最新の空気による大衆扇動が明治から日本でも開始されたのです。

 空気の扇動で日本人と日本が滅亡の危機に直面したのは、太平洋戦争とその敗戦が最初だったのではないでしょうか。

 戦時中の惨禍と、異常な社会統制を体験した人の多くは、何らかの形で「空気の存在」を後世に伝えようと苦闘しました。日本という国が、古代の多くの民族と同じように、空気に操られることで滅亡の危機に瀕していることを、肌で感じていたのでしょう。

 空気の記述は、「この理不尽を何とか止めてくれ!」という日本人の叫びなのです。その中で、山本氏が最も精緻に空気の存在を描写し、構造をこれ以上ないほど探究してくれていたことで、現代日本人は、空気打破の手がかりを多数得ているのです。

 西欧を含めた各国は、空気の克服にすでに数百年、数千年をかけてきました。その背後には、空気の大衆扇動力を打破できず、滅亡した民族が無数にいるのです。

  日本と日本人は、空気の欺瞞を見抜き、悪意ある空気を打破できるのでしょうか。私たち日本人の、学習能力と問題克服能力が、まさに今問われているのです。

(注)
*9『「空気」の研究』P.56

 (この原稿は書籍『「超」入門 空気の研究』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)