「伝統だから続けなければならない」は正しい?
生け花から見たその意義とは
マッキンゼー・アンド・カンパニー、東京大学助手を経て、2006年より2016年8月まで、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)日本リサーチセンター勤務。東京大学医学部特任助教として、グローバル人材育成に関与。2017年より華道家としてIKERU活動を主宰。東京大学経済学部、ジョージタウン大学国際関係大学院卒業。著書に『ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか』(ダイヤモンド社)。
山崎 伝統とは、その時代、その時代に「価値がある」と認めた人がいたからこそ、続いてきたものであって「伝統だから続けなければならない」ということはないと思っています。その時代、その時代の人が「これはいったい何なのか」と考えて、再定義して、時代に取り入れていく。その中で形が変わっていくものだと思います。
生け花について話しますと、これはおよそ500年続いてきました。女性が花嫁修業としてやる、というイメージを持たれる方も多いと思いますが、それは戦後のものを指しています。当時、若い女性は、結婚前に、茶道と生け花と料理を習うという慣習がつくられ、それに見合うビジネスモデルができました。女性が結婚したら家庭に入るという社会前提の上に成る生け花の形です。
その後、社会前提は大きく変化し、その形が成り立つのが難しくなってきました。
だから、今の形は別に伝統ではないのです。お花と向き合う中で、人の心の在り方を見いだしたり、それぞれの持つ創造性を発揮したりするところに、本来の生け花の叡智が詰まっているのであって、そこは次世代につなげていくべきだと思っています。一方、今の形にはビジネスモデルや慣習がかなり含まれているので、それをそのまま伝統として残していく必要はないと思っています。
私自身は、生け花の叡智をビジネスモデルや慣習から切り離して、叡智そのものをいまの時代に合う形で伝えていきたい、と思い、現在の活動を始めました。経営やビジネスに必要とされているのではないかと感じたからです。この2年間で数百人の方がレッスンやワークショップを受けてくださり、皆さん、面白いとおっしゃってくださいます。
この活動を通じて、生け花をはじめ伝統といわれるものの中には、やはりすばらしい叡智が詰まっていると実感しました。その時代に合う形で取り出して、多くの人に生け花のよさを伝えることで、次の時代につながるのではないかと思います。その人にしかできない伝え方で、多くの人が伝えていければ、その伝統は継承されていくのでしょう。
ラウル 将来的には、AIで自動化や効率化がどんどん進むと思います。それと同時に、効率的ではない、伝統的なものの重要性が高まってきているように思います。クラフトビールの会社をやっていますが、人間らしい、個性を出せるようなビールが求められていると思いますし、それを飲んでもらいたいと思う。