佐宗 なるほど。それは雑誌メディア全般が向き合っているポイントですね。岩渕さんとその議論をさせていただいたのは数年前なので、かなり早い段階から着手されていた印象があります。もう1つの理由はどのようなものですか?

岩渕 ええ、もう1つは、雑誌づくりにおいて、最終的な誌面に現れているものはとてもわずかなんです。日本酒の大吟醸をつくるにはお米を半分以上も削って磨きますが、雑誌も同じで、記事のために100のことを調べたとしても、使えるのは5とか3くらいに凝縮したものです。
そうやってつくったものを数万人に届けるということを僕たちはやってきたわけですが、「もっと大勢の人にアートの魅力を届ける方法はないものか?」と思い始めました。

佐宗 一流料理店の賄い飯も十分においしいという感じですよね。雑誌編集の過程で手に入れたネットワークや知識、取捨した情報は、まだまだ宝の山だなあ、と編集の人とお話ししてていつも思います。

アート作品とマーケットをつなげる

マーケットを動かす「妄想家」がこっそりやっている「現実とのすり合わせ」とは?【岩渕貞哉×佐宗邦威 対談(1)】佐宗邦威(さそう・くにたけ)
BIOTOPE代表。戦略デザイナー。京都造形芸術大学創造学習センター客員教授
大学院大学至善館准教授東京大学法学部卒。イリノイ工科大学デザイン学科修了。P&G、ソニーなどを経て、共創型イノベーションファーム・BIOTOPEを起業。著書にベストセラーとなった『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』(ダイヤモンド社)のほか、『21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由』(クロスメディア・パブリッシング)がある。

佐宗 こうした一連の挑戦を始めた当時、『美術手帖』のビジョンについては、何か具体的なイメージがあったのでしょうか?

岩渕 実は、長期的な展望は考えてはいませんでした。僕自身、物事を一歩一歩進めていくようなタイプなので、そんなに先の未来までバーっと見通せているわけではないんです。ただ、いま振り返れば、「日本のアートマーケットが未成熟であることにある」ということに対して、なんらかのモヤモヤはあったのだと思います。

佐宗 アートという世界に対する違和感ですね。違和感は「直感の知らせ」とも言えます。それがどのようにして最終的に、「ECサイトをつくる」という構想に行きついたんでしょうか?

岩渕 そもそも『美術手帖』は批評誌としてスタートしていますから、マーケットに関する情報を提供するということには、ずっと消極的でした。それを10年くらい前に初めて、アート作品の価格だとか市場に関する特集を組んだことがありました。当時は多くの人が「プライマリー・マーケット」とか「セカンダリー・マーケット」といった言葉すら知らないような状況です。それくらい、アートとお金が遠いものだったんです。

佐宗 雑誌は特集を組むという形で新たな切り口を提起できるのが、新たなビジョンを試すいい機会になっていますよね。その特集を通じて、日本のアート市場に対して明確な問題意識が芽生え、今回のECサイト「OIL by 美術手帖」に結実したと。

岩渕 いっぽう、アートシーンの1プレイヤーとして、もっと貢献できることがあるのではないかと思うようになり、「それならいっそのこと、自分たちも『マーケット』の一部を担ってみたい」となったわけです。そう思い切るまでに、10年ほどかかってしまったわけですが……。

マーケットを動かす「妄想家」がこっそりやっている「現実とのすり合わせ」とは?【岩渕貞哉×佐宗邦威 対談(1)】

佐宗 「雑誌のオンライン化」くらいはメディアとしては自然な取り組みですが、ECサイト、しかもアート作品のマーケットとなるとけっこう踏み込まれたなという印象で、完全にメディアの粋を超えていますよね。この発想のジャンプがどうやって起きたか、教えてもらえますか?