さらされているのは「人間関係」
――「Facebook離婚」に見るすべてが「見える化」された時代
Facebookの中では、自分の投稿だけではなく、自分の人間関係もさらされる。
友達に誘われ、Facebookをやり始めたとしよう。初めは数人の大学時代の友達とだけつながっているが、しばらくすると高校時代の友達や、懐かしい幼なじみが自分を発見して申請してくる、という事態へと発展していく。
一方で、Facebookが「友達では?」と推挙してくるリストの中には、職場の上司や部下、取引先の人も含まれていることもよくある。悩んだ末に思い切って自分から申請してみた、という人も多いだろう。
Faceboookの中には、友達が一覧で表示される場所がある。これは非公開にもできるのだが、公開されていることも多い。ある人の友達の中に、自分の友達がいること、つまり共通の友達もわかってしまう。自分の人間関係も友達の人間関係も、丸見えだ。一見すると、共通の友人を探せることは、とても画期的なことに思える。だが、ここにも裏表が存在する。
とりわけ海外で社会現象となっているのが、「Facebook離婚」というものだ。
全米婚姻関連弁護士会(AAML)が、アメリカ国内で2010年に行った調査によると、弁護士会に所属する81%の弁護士が、「SNS上で交わされた会話などを離婚訴訟の証拠として使うケースが過去5年間で増加した」と回答している。
同様の現象は、イギリスでも起きている。
離婚に関する情報提供を行っている「離婚オンライン」というサイトによると、2011年の離婚訴訟で提示された訴状5000通中、33%が「Facebook」という単語を含んでいたという。このうち、離婚に至ったケースで上位を占めたのが、「別居中の夫婦がFacebook上で相手を罵倒した」「配偶者の行動についてFacebookの友人から報告を受けた」などというものだ。
これらは、もしもFacebookが人間関係を「見える化」しなかったら、起こらなかった事象かもしれない。
人間関係がこれほどまでに人目にさらされる時代はなかっただろう。
しかも、人間関係がさらされることで、人間関係そのものが影響を受けてしまっている。
離婚や喧嘩、親交や再会。人間関係がさらされることで、それは毒にも薬にもなるのだ。