なぜ、優秀な弁護士は「あえて」感情的になってみせたのか?

 調停終了後、私は、改めて先輩の“暴挙”について考えを巡らせた。
 そして、そこには先輩の「計算」「作戦」があったと確信するようになった。つまり、状況を変えるために、あえて感情的になってみせたのだ、と。

 なぜか?
 まず第一に、すでに私たちは論理的な主張を何度も伝えてきたにもかかわらず、調停は相手方有利で進んでいたことにある。これ以上、同じことを繰り返しても状況をひっくり返すのは難しい。流れを変えるには、論理以外のインパクトをもたらす必要があったのだ。

 第二に、私たちの交渉相手は調停人ではなく、あくまでも別室にいる相手方だということにある。相手方の「考え方」が変われば、調停のゆくえは変わる。そして、相手方弁護士と直接コミュニケーションが取れる場面は、相手方に強いメッセージを伝えて、「考え方」の変更を迫る絶好の機会だったのだ。

 つまり、先輩が意識していたのは調停人ではなく、相手方弁護士なのだ。調停人に怒りをぶつける姿を見せることで、相手方弁護士に、「このままでは我々は絶対に合意しない」ことを強烈なインパクトとともに伝えることを狙ったのだ。

 その結果、おそらく相手方弁護士は「このまま押し切るのは難しそうだ……」感じたに違いない。そして、彼らもこの調停で和解することを望んでいたはずだ。だからこそ、その後、相手方は譲歩を示し始め、私たちも受け入れ可能な和解案に漕ぎ着けることができたのだ。

 もちろん、先輩が100%計算して演技をしたとは思っていない。もともと彼は、どちらかというと感情的な人物で、カッとしやすいところがあった。しかし、彼は同時に、状況次第では、自分のなかに沸き起こる感情を抑えるだけの知性も兼ね備えた人物である。

 だから、おそらく彼は、あの状況において、調停人の制裁を受けたとしても、「いまは、怒りをそのまま表現していい。いや、したほうがいい」と判断して、感情を解放したのだと思う。そして、その判断が、調停の流れを変えたのだ。

 あの件以来、例の調停人と先輩はお互いに「共演NG」だが、それはあくまで調停の場に限ってのこと。お互いにプロフェショナルとして認め合う関係性は、現在に至るまで続いている。調停人もあのときは腹を立てただろうが、時間の経過とともに、「先輩の意図」を理解したのだろう。そして、自らは泥をかぶっても、クライアントの利益を守ることに徹する姿勢を認めたのだと思う。