三井住友フィナンシャルグループ看板Photo:Diamond

 “たすき掛け”人事の終焉――。今年4月、3メガバンクグループの一角である三井住友フィナンシャルグループ(FG)で起きたトップ人事は、この印象を決定付けた。

 三井住友銀行は、旧住友銀行と旧三井銀行をルーツに持つ旧さくら銀行との経営統合により、2001年4月に誕生したメガバンクだ。02年12月に持ち株会社である三井住友FGができてからは、首脳ポストにおいて旧行間のバランス人事が行われていた。

 そのポストというのが、三井住友銀の頭取と三井住友FGの社長だ。そもそも三井住友FGでは、本来ならば持ち株会社トップが全体の監督を担うべきところ、グループ内で最大の収益を稼ぐ銀行頭取が実権を握ってきた。

 故に、実質的に旧さくらの救済を行ったとされる旧住友の出身者が銀行頭取のポストを代々受け継ぎ、FG社長のポストに旧三井の出身者が就くことでバランスを取ってきた。

 三井住友銀の誕生直後は、大物バンカーとして知られた旧住友出身の西川善文氏が初代の銀行頭取とFG社長に就任する。その後、西川氏は05年6月に銀行頭取を旧住友出身の奥正之氏に、FG社長を旧三井出身の北山禎介氏に禅譲する。続いて11年4月、銀行頭取に旧住友出身の國部毅氏が、FG社長に旧三井出身の宮田孝一氏が就任するかたちでバランス人事が継承された。

 しかし、17年4月に潮目が変わる。國部氏が銀行頭取からFG社長にスライドし、銀行頭取の後釜として同じ旧住友出身の高島誠(高の字は梯子高、以下同)氏[入行年次:昭和(S)57年、出身行:旧住友銀、出身大学:京都大学、以下同]を据えたのだ。