新しい時代の“学校”とは

最新技術を用いた教授法へと変わっていくなかで、教育への期待値は、知識を詰め込み、単純作業に熟練し、指示に従う、といった産業革命以降の画一的なものから、機械にはできない、問題を発見し、複雑な問題を分解し、解法を設計し、対立を調整する「学びの機会」の提供へとシフトしている。

ミネルバ大学は、米国の学校制度の枠組みの中で、どれだけ時代に合った教育を提供できるかを実証してみせた。一方、私が同校の認知活動を通じて理解したのは、学校自体が多様化していること、そして保護者や学生は“国の指針”といった全体最適の中で学生の個性や強みが削り取られるような制度改革には期待していないし、自分のやりたいことを追求できる場は学校法に縛られた場所以外に存在することにも気づいているということだ

英国トップ大学のカレッジ制度は、核となる大学に縛られているが、その仕組みを「学習・生活環境を提供する場」と解釈すれば、今回紹介したManaiやインフィニティ国際学院のような、自分のやりたいことをとことん追求する新しい学校がより認知され、普及するだろう。また、青翔開智の、「図書館の中に学校をつくる」という発想は、「知をつくり、先人の知恵に触れ、知を再生産する」という、学校が何のために存在するのか、という根本に立ち返っている。

これからの時代の「学校」は、テストで入学を許可される場所ではなく、知的な問いを育むコミュニティへと進化する。今回ご紹介した6つの学校が示すように、その流れはどんなに既存の制度で制約をかけようとしても不可能だ。