私たちと自動車が似ていないところ

 生物であることの3つの定義は、(1)仕切り(2)代謝(3)複製、である。このうちの2番目の代謝は、「生物の体におけるエネルギーと物質の流れ」のことである。生物の体の中では、エネルギーと物質が流れているわけだ。すぐ前で述べたように、エネルギーの流れについては、生物と自動車は似ている。では、物質の流れについてはどうだろうか。

 自動車の場合は、エネルギーが流れるだけで、物質は流れない。いや、たしかにガソリンは物質だ。しかし、ガソリンはエネルギー源として使うだけなので、ここではエネルギーに含めよう。純粋な物質、つまり車体などは、自動車が走っても変化しないのだ。

 一方、生物の体の中では、エネルギーだけでなく物質も流れている。少し汚い話だが、私たちの大便は、栄養を吸収された食べ物の残りカスだけではない。その固形成分の3分の1は、小腸から剥がれた細胞だ。エネルギー源としての食べ物だけでなく、私たちの体そのものである細胞も、毎日私たちの体の中から流れ出ていくのである。

 では、どうして小腸の細胞は剥がれてしまうのだろうか。それは、小腸の中が、細胞にとって過酷な環境だからだ。

 小腸の中にはバクテリアがたくさんすんでいる。いわゆる腸内細菌だ。その数は、数百兆匹と見積もられている。私たちヒトの体の細胞が約40兆個と見積もられているので、その10倍以上である。そのすさまじい数のバクテリアが、消化されかけた食物の中にうようよしている。はっきりいって、不潔きわまりない環境だ。

 しかも小腸には筋肉があり、食べ物を肛門の方へ送るために、うごめくような運動をしている。その中で、さまざまな栄養を吸収するのは、なかなか大変な仕事である。その最前線で頑張っているのが、小腸上皮細胞だ。

 このような過酷な環境で忙しく働かなければならないので、小腸上皮細胞の寿命はとても短い。だいたい5日、最前線で働ける期間は1日ともいわれている。そして、その短い生涯を終えると、体外へ排出されてしまうのである。

 つまり私たちは、毎日、体の一部を外へ捨てている。これでは、私たちの体は、どんどん小さくなってしまう。しかし、実際には、私たちの体の大きさは、(成人になれば)あまり変わらない。

 ということは、私たちは毎日、体を捨てる一方で、体を作ってもいるわけだ。この点では、私たちは、自動車と似ていない。私たちの体の中では、エネルギーだけでなく、物質も流れているのである。