──引退した後はどんな活動をしていたのですか。

 福祉で地域に貢献できないかとの思いから、引退の翌年にイエロー・エンジェルというNPOを立ち上げました。学生に奨学金を給付したり、芸術振興のために学校の吹奏楽部に楽器を提供したりといった活動を続けています。

──音楽でいうと、財をなげうってコンサートホールまで建てていますが、そこまで情熱を注ぐのはなぜですか。

 クラシック音楽をもっと多くの人に楽しんでもらいたい、ファンを増やしたいというのが私の思いです。私が高校生のときに、友人からテープレコーダーを譲ってもらいましてね。テレビ番組の音声を録音しようとしたら、偶然流れていたのがメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルト(協奏曲)でした。

 そこからクラシック音楽の魅力に取りつかれてしまって。クラシックを聴いていると、私は何とも穏やかな気持ちになりますし、生きるパワーをもらえます。

──それでもなかなか常人は、コンサートホールを建てようという発想にはなりません。

 今のこの土地を買ったときに、周辺の地主さんに声を掛けたら、運よく買うことができたんですよね。それで土地が全部で250坪(約820平方メートル)になりまして、この広さなら小規模な音楽ホールができると考えて、28億円かけて思い切って建てることにしたんです。

──28億円ですか。下世話な話で恐縮ですが、今どのくらいの資産を持っているのですか。

 まあ、そこは(笑)。

──5年前に手放した壱番屋の株式が、200億円以上の金額に上ったと聞いていますが。

 まあ、そのくらいでしょうか。

──定期的な収入があるわけではないと思うので、NPOでの活動やコンサートホールの運営をはじめとして、じわじわ資産が減っていくことにどこかで不安になったりはしないのですか。

 それはないですね。資産をお墓に持っていくわけではないですし。学生への奨学金についても、依頼があれば私は基本的に断りません。

──そこまで気前よく援助しても、何か見返りがあるわけではないですよね。

 そうですね。そもそも、見返りを求めてしまったら息が詰まりますから。そこが私の甘さなのかもしれませんが。

──幼少期にだいぶ苦労をされているようですが、生い立ちが今に影響している部分があるのですか。

 どうでしょうか。物心ついたときから養父に育てられて、中学3年生まで自宅の家具が、リンゴ箱一つという家で育ちましたから。生活保護費の半分は養父の競輪に消えて、小学生の頃はパチンコ屋さんで必死にシケモクを探して養父に渡していました。

 ただ、それをあまり苦に思ったことはなくて、どうしたら養父に喜んでもらえるかという一心でしたね。その思いはお店の経営にも生かされたと思っています。

──幼少期の反動でぜいたくをしたいとは思わないのですか。

 ぜいたくな暮らしをしたいとは全く思わないですね。今日もスーツやネクタイを含めて、全身3万円ですし。銀座の高級なお店にも、一度も行ったことがありません。

──おそらく多くの人は数百億円ものお金が舞い込んできたら、悠々自適に遊んで暮らしたいと考えると思いますが。

 考え方は十人十色ですからね。もしお金があったら、楽をして遊んで暮らしたいという感覚は、分からないでもないですが、そんな生活は半年、1年ですぐに飽きますよ。

 やはり社会と何か接点を持った方がいい。私は今でも朝は3時55分に起きて、ホールの敷地の掃除をして花壇に水をやって、それから事務をしてというのが日課になっています。

──今、さまざまな活動をする中で何か目標はありますか。

 今はホールでコンサートを、昼夜合わせて年間365回開いています。毎年来場者数は増えていて稼働率は平均7割強なのですが、それを9割にするというのが私の今の大きな目標です。

Key Visual designed by Noriyo Shinoda