故岡部氏は前田道路にとって、道路の好業績を支えた立役者の一人である共に、故岡部氏以降にプロパー出身社長が続く流れを作った“中興の祖”といえる。18~19日はその故岡部氏の通夜と葬儀が執り行われ、前田社長も列席していた。このときは20日に“爆弾”を投下する気配は微塵もなかった。
前田社長のアポ申し込みを受けて、道路の社員達は「もしかすると、お別れの会を一緒に開催したいという相談だろうか」と最初は考えた。お別れの会は社長・会長が死去した際に行うことが通例。前田建設における故岡部氏の最高職位は副社長だったため、それは違うような気がした。
そこから、二つ目の可能性が浮かび、不安を抱いた。
ふたを開けてみると、その不安は的中した。前田社長が道路本社にやってきて説明したのは、冒頭の「道路の株式の公開買い付け開始」の件だった。
これを受けて道路は、「連結子会社化が既成事実となることを避けなければならない」と建設の“先手”を打つタイミングで適時開示をしようと奔走した。株主たちにグループの親会社が傘下の会社を連結するのは当然のことだと受け取られるより前に、道路側が反対している意思表示をするためだ。こうして、冒頭の建設との資本関係解消等の提案を発表するに至った。
TOB開始の通知を受けて、道路は24日に取締役会を開催した。取締役10人のうち、建設出身の1名は欠席。出席した9名の満場一致でTOBに反対意見を表明することを決めた。
同日に公開した文書には、「19年3月期における前田建設との直接の取引は年間連結売上高の0.76%」、「将来においても事業シナジーが創出される見込みがなく」、「資本市場からの評価がより乏しい企業によって経営されることになる」など反対理由として厳しい言葉が並ぶ。
「2社の仲は良くないとは聞いていたが、ここまでとは」とゼネコンの面々は驚きを隠さない。「もともと建設と道路は出自が違うし、事業のシナジーは低い。連結化して経営へのコミットを深めるのは難しい」「道路の売り上げ規模は大きい。単独でも十分やっていけるだろう」などの声が業界では挙がり、道路が“独立”するという見方もある。