『組織――組織という有機体』のデザイン 28のボキャブラリー』は、長年マッキンゼーでコンサルタントとして活躍し、マッキンゼー東京支社長の時代を通じて50におよぶグローバル企業の組織をデザインし、退社後は公的組織、東京大学EMP、NPO、ベンチャー企業などさまざまな組織に関わってきた社会システムズ・アーキテクトの横山禎徳氏の新刊です。プロの組織デザイナーとして知られる横山氏の集大成と言える本書では、合理的には動かない人間の集団である有機体としての組織を、いかに戦略が機能する組織にするか、そのポイントをユニークなボキャブラリーとして解説しています。本連載では、そのエッセンスを紹介していきます。

性善説でも性悪説でもない。性怠惰説に基づく組織をデザインせよ。Photo: Adobe Stock

「善か悪か」ではなく、好ましい面の発現を促す

世間には性善説と性悪説がある。孟子や荀子が大昔に唱えた説であるが、性悪説に関して言えば、現代では本来の説とはかなりかけ離れて一般的に理解されている。すなわち、人は悪いことをするのでそもそも信用できない、という意味で使われていることが多い。本来は、人は弱い存在だが学習によって改善する、という意味である。そういう意味であれば納得感がある。

人を信用しないという前提で、規則で固めた組織を「性悪説に基づいた組織」と言ったりするが、多少、誤解を含んだ言い方である。ダグラス・マグレガーが1950年代に唱えたX理論とY理論というのがある。X理論とは「人間は本来、怠けたがる生き物で、責任を取りたがらず、放っておくと仕事をしなくなる」という見方であり、Y理論とは「人間は本来進んで働きたがる生き物で、自己実現のために自ら行動し、進んで問題解決をする」という見方である。この考え方はある時期とても流行ったが、Y理論をもとに現実に組織をデザインしても、必ずしもうまくいくわけではなかった。

結局、人間はどちらかであるというほど単純ではないのが、現実であるようだ。善も悪も決定的ではなく、その後の努力によって変わるものである。要するに、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」であり、もっと言うと何事にも表と裏があるように、悪があるから善がある、夜があるから昼がある。要するに、「あれがあるからこれがある」のである。結局、人は両面を持っているというのが妥当な結論であろう。

誰もが上品だが下品であり、鷹揚でもあるが時にせこくもなり、高邁である一方で矮小だ。親切と意地悪、神経質と無神経が同居し、努力家でありながら気が向かないと怠惰でもある。状況によってどちらかが発現するだけである。それが人間の本質であると捉えて、人々の好ましい性向のほうが発現するように仕掛けていくことが組織デザインである。

そして、そのための組織デザインのボキャブラリーをたゆまず開発していくことが必要である。いかに優れたボキャブラリーでも、飽きられ、裏を読まれてしまい、結果として陳腐化し、効果がなくなるからだ。人は慣れてくると堕落しやすくなり、セルフ・ドライブを持ちたいと思っていても、いつも持ち続けるのはそれほどたやすいことではない。それを前提に、人を望ましい行動に「駆り立てる仕組み(Forcing Device)」をデザインするのである。これが、「人その性善なるも、その性怠惰なり」という「性怠惰説」に基づく組織デザインである。やったほうがいいことはよくわかっていても、お尻を叩いてもらったほうが行動しやすいということだ。