問題は何かと聞くと
全員から違う答えが返ってくる

 厄介な問題には利害関係者が大勢いるその全員が、それぞれ独自の枠組みで問題をとらえ、自分だけが正しいと信じている。問題は何かと尋ねれば、全員から違う答えが返ってくるだろう。ほかの問題が多数関係しているため、それらと分けることは実質不可能に近い

 そればかりではない。厄介な問題は同じものがふたつとないため、ならうべき前例はある意味存在せず、他人の解決策は役に立たない。なのに、「間違う権利」は誰にもない

 厄介な問題に取り組めば、十分な正当性と関係者による支援があったところで、最初の試みはほぼ必ず失敗するだろう。しかし、失敗すれば酷評され、もう一度解決を試みる者として適任ではないとみなされる

 問題は形を変えて現れ続ける。完全に解決されることは絶対にない。そのうち、我慢がきかなくなるか、時間や資金がなくなる。厄介な問題の場合、問題を理解してから解決しようと思っても無理だ。それよりも、解決を試みながら問題のさらなる側面を明らかにしていくほうがいい(これが厄介な問題の解決を「得意」とする人の成功の秘訣だ)。

「厄介な問題」には
とらえ方の正解がない

 厄介な問題と呼べる問題に心当たりはあるだろうか? もちろん、誰もがある。今の時代にいちばんふさわしい例は、気候変動だろう。これ以上にさまざまな問題が関係するものがほかにあるだろうか?

 「気候変動は、別の(おそらくは私たちの生き方全体に)問題があるという兆候でしかない」との言葉はどんなときでも成立し、誰が口にしても間違いになることはないだろう。このような問題が過去に解決された例は一度たりともなく、利害関係者は、地球上にいるすべての人、すべての国、すべての企業となる。

 GM(ゼネラルモーターズ)が倒産の危機に陥って何万という人が失業したのは、間違いなく大きな問題だ。アメリカ大統領がすぐさまその問題に関心を持ったのは当然だと言える。

 しかし、これは厄介な問題ではなかった。バラク・オバマのアドバイザーは、限定的ではあるが複数の解決策を提示できた。よって、オバマ大統領が政治的なリスクを負ってでもGMの倒産を回避させると決断したなら、アドバイザーからの提案を実行すればいいのだとある程度の確信を持てた。実行して効果がなければ、もっと大胆な政策に挑めばいい。

 ところが、医療制度改革はまったくそのようにはいかなかった。アメリカにおいて、医療コストの上昇は厄介な問題の典型だ。とらえ方の「正解」はなく、議論の余地がある解決策しか生まれない。利害関係者が複数いて、問題の定義の仕方は立場によって違う。保険未加入者の数は減ったものの医療コストが上昇した場合は進歩と呼んでいいのか、それすらもわからない。本当に厄介だ!