「厄介な問題」と通常の問題を
分けるだけでも役に立つ
とはいえ、通常の問題と違って厄介な問題を扱うときに、そうとわかるに越したことはない。「厄介」に属する問題だと分類できるようになれば、「普通の」解決の仕方ではうまくいかないと気づけるようになるのではないか。
厄介な問題の場合は、問題を定義し、解決できる可能性のある策を検討して最適なものを選び、専門家を雇って実行に移すことができない。普通のやり方に従いたいといくら望んだところで、うまくいかない。組織から要請があっても、習慣からそうしたくても、上司から命じられても、厄介な問題はどこ吹く風だ。
大統領候補の討論会で厄介な問題と通常の問題を区別すれば、討論の中身はずいぶんと違ったものになるだろう。個人的には良いほうに変わると思っている。
厄介な問題に対し、通常の問題とは違う扱いをするジャーナリストのほうが、ジャーナリストとして賢明だと言えるのではないか。厄介な問題とそうではない問題を区別できるようになった組織は、最終的には命令と統制の限界に気づくはずだ。
「厄介な問題」を解くコツ
厄介な問題には、クリエイティブな人、実利を重んじる人、柔軟な考え方や対応ができる人、他者と協力して物事にあたる人が求められる。そういう人たちは、アイデアを出すことにはそれほど必死にならない。出したアイデアはいずれ変わると知っているからだ。
また、始めるべき場所は決まっていないこともわかっているので、適当なところから始めて様子を見る。解決したあとのほうが問題をより深く理解できることを、事実として受け入れているのだ。
立派な解決策が手に入るとは期待せず、挑戦を続けながら十分だと思えるものを探す。解決できるだけの知識があると驕ることなく、立場の異なる利害関係者に対して延々と自らのアイデアを試し続ける。
このような人たちに心当たりはあるだろうか? もしあるなら、アメリカの医療コスト問題に関心を向けさせたいと思うのだが。