ドラッカーは活躍の範囲を欧州から米国、さらには日本に広げた。自身を生涯の「観察者」であるとし、多様な交流と観察を基に理論を築いた。特集『仕事に効く ドラッカー』(全14回)の#4では、ドラッカーの交流関係や生い立ちについて取り上げる。

「週刊ダイヤモンド」2010年4月17日号および2011年6月18日号の第1特集を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの

年表と一覧表で振り返る
ドラッカーってどんな人?

 ドラッカーは幼少の頃から多彩な交流を持った。オーストリア=ハンガリー帝国の政府高官であった父、医学部出身の母が開いたドラッカー家のホームパーティには、経済学者のシュンペーター、ハイエク、チェコスロバキアの建国の父マサリクもよく顔を出していたという。

 青年期のドラッカーは政治に目を向ける。ナチスの台頭を予測し、新聞記者としてヒトラーに何度もインタビューを重ねている。